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  • 執筆者の写真ゴンちゃん

Chotto Desh 小さな祖国


権祥海


展覧会名:Chotto Desh 小さな祖国

会場:横浜赤レンガ倉庫1号館3Fホール

会期:2018年8月22〜25日

アクラム・カーン(Akram Khan)展


 この作品は、振付家アクラム自身の自伝的ダンスである。  最初のシーンは、アクラムがGoogleカレンダーのパスワードを忘れ、今自分がどこにいて、何をするべきなのか分からない状況から始まる。フィリピン人の母とバングラデシュ人の父の間で生まれたアクラムは、イギリスで生まれ育ち、幼い頃からダンスに興味を持った。休みの時には、父によってバングラデシュによく連れて行かれたが、あまり現地の雰囲気に馴染めなかった。アクラムの父は、イギリスでレストランを経営しており、アクラムに店の仕事を手伝うように強要する。アクラムの父にとってアクラムは、現実の社会問題に興味がなく、ダンスといった理想にはまっているわがままな息子である。(この場面では、小さい椅子が舞台に置かれているが、アクラムは散漫げにその周りを行ったり来たりするだけだ。ここには、社会が求めるルールに馴染めない自らの姿が投影されていると思える。)一方で母がよく読んでくれたおとぎ話の中で、アクラムは自分の創造の世界を繰り広げる。(おとぎ話のアニメーションにあわせてダンサーが踊る場面は圧巻である。)

 ストーリーラインとしては、アクラムが自らのルーツやアイデンティティを絶え間なく探る要素がいろんな場面で確認できるが、父との話し合いや、その場面が象徴する社会一般との葛藤(芸術的自我ー社会的規律、おとぎ話ー社会問題、ダンスー生計、理想ー現実といった対立構図は、作品の中で繰り返し現れる)は解決されてないまま終わる。おそらく、アクラムにとっては、多文化の背景を抱いている自分の姿よりは、アーティストという立場として社会認識と戦うような側面がより強いように見える。要するに彼は、人種的マイノリティの問題を作品の中で全面化しようとはしていないのだ。  だが、僕が関心を持ったのは、アクラムにおける社会批評性の有無よりは、彼が自らの問題にアプローチする仕方そのものであった。最後のシーンは、アクラムがカレンダーのパスワードを思い出し、自分がどこにいて、何をするべきなのかが分かったと喜ぶ場面である。それは、アーティストとして自らのアイデンティティ問題に向き合う仕方に対する確信もしくは安心なのだろうか。結局、それを検証するためには、作品の中で試みられた芸術的要素に詮索しなければならないだろうが…

 予告編の映像を下のリンクで見ることができます。 https://www.youtube.com/watch?v=oQ4d86KeW2Y


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