『青い芽』の版画展―多磨全生園の中学生が彫った「日常」の風景―
- Naoko Tanaka
- 2021年7月23日
- 読了時間: 3分
展覧会名:「『青い芽』の版画展―多磨全生園の中学生が彫った「日常」の風景―」
会場:国立ハンセン病資料館 企画展示室
会期:2021年3月2日~6月10日
2021年6月、東京都東村山市の国立ハンセン病資料館を訪問した。ハンセン病関係の施設を訪れるのは、約5年前に熊本の国立療養所菊池恵楓園以来であった。授業で戦争、人権に関する施設を調べているうちに、本展の企画を知った。
国立ハンセン病資料館は、「高松宮記念ハンセン病資料館」として1993年に開館し、その後、2007年に「国立ハンセン病資料館」と改め再開館した。近くには創立112年になるハンセン病患者の収容施設である国立療養所多磨全生園がある。国立ハンセン病資料館にはメインとなるハンセン病資料室以外に小さな企画展示室があり、本展もそこで行われていた。
さて1953年から1979年の間、国立療養所多磨全生園で暮らす子ども達が通っていた公立校の分教室「東村山第二中学校全生分教室」が多磨全生園内に設置されていた。『青い芽』は、その分教室の卒業文集の名称である。本展では『青い芽』に収録されていた、子ども達が制作した木版画107点が展示された。2019年に資料館で『青い芽』の詩を朗読するイベントが企画された際に、文集に多数の木版画が挟み込まれている事がわかり、展示を企画し、この度初お披露目となったそうだ。(*1)
版画は20cm×15cm程度の作品で、文集の年代によって版画はモノクロとカラーとあった。版画のモチーフは、主に学校生活や風景そして自画像の絵が多かった。例えば、4名しか在籍していない学年の子ども達はその4名が仲良さそうに描かれていたりするし、学校での授業や卓球をしている版画などもある。その中でも、筆者が特に惹かれたのは、「自画像」の版画だ。自画像の版画は中学生の彼らが、差別を受けたり、隔離生活を強いられている中で、自身が「見る」、「見られる」という存在になる事をどう感じていたのか。中学生という大人と子どもの中間地点のような彼等の自己認識を自画像は映し出す。しかし、展示されている版画に描かれた生き生きとした表現を見れば見るほど、一方で、隔離された園内で生活をしている彼らにとっての「日常」の意味を問われている気がしてならない。また、展示を見ていくと、「家族」を描いたモチーフが無かったり、作者名が伏せてあることに気づく。そこには当時のハンセン病患者の子ども達が抱えていた「家族」という存在との複雑な問題、そして、終わらない深刻な差別偏見問題が浮き彫りとなる。
筆者は本展を美術展ではなく資料展示の企画という位置付けで拝見したが、これまで光が当たってこなかった資料の貴重な展示としては勿論(*2)、子どものハンセン病患者という小さな声を通して、忘れてはならない問題を示す意義ある展覧会だったと評価したい。
本展ではあまり触れられていなかったが、当時の派遣教師で版画を教えていた村上詞郎氏(美術系出身)の教育方法について興味を持った。園内でたった一人の派遣教師が子ども達とどう向き合ってきたのか。もし、本展に続編があるならば、その視点が込まれていることに期待したい。
(*1) 日本経済新聞、「隔離の日常」を生きた子どもの実情、2021年4月23日 参照:https://www.nikkei.com/article/DGXKZO71261130S1A420C2BC8000/
例年の企画展一覧を見てみた。当然かもしれないが、大人によるハンセン病関係の資料や作品展が多く、子どもに関係する展示は少なかった。
展覧会詳細
「企画展『青い芽』の版画展―多磨全生園の中学生が彫った「日常」の風景―」
*Youtubeでの紹介もあります。ご興味がある方はどうぞ。

*撮影:田中直子 (会場入り口の様子。展示会場内の撮影は不可だった。)




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