
ブブ・ド・ラ・マドレーヌインタビュー
人魚の領土——越境する生き方の可能性について
閻喜月、チョ・ヘス、平河伴菜

BuBu de la Madeleine, A Mermaid’s Territory—Flags and Internal Organs, installation view, Ota Fine Arts, Tokyo, 2022
Photo: Ota Fine Arts, ©️ BuBu de la Madeleine
はじめに
アンドリュー・マークル(以下AM):今日のインタビューは、GAの学生と共に立ち上げるメディアプロジェクトに掲載する予定です。現時点では「Rehearsals: A Journal for Globally Engaged Art」というタイトルも決まっています。そもそもグローバルアーツというものはあり得るのかという疑問があって、それは実現されているというより、むしろ常に向かっていくしかないところがあります。またブラジル出身のアウグスト・ボアール著『被抑圧者の演劇(Theatre of the Oppressed)』では、被抑圧者のための演劇は「Rehearsal for the revolution」だと言っています。これは、美術は世界をすぐに変える効果はないかもしれないけれど、変革のためのリハーサルであるという理念からきています。そこから着想を得て、このタイトルにしました。初公開の特集として、ブブさんと高山明さんにインタビューの主役を演じてもらえることをとても素晴らしいと思っています。
ブブ・ド・ラ・マドレーヌ(以下BM):「被抑圧者のための演劇は『Rehearsal for the revolution』だ」という言葉を、ここの皆さんと共有できることに、インタビューに応える前から感動しています。その理由は、私がこれからお話することで明らかになると思います。
地形と体のイメージの重なり
閻喜月(以下YX):ブブさんは90年代前半からダムタイプのメンバーとして活動し、その後2000年代には《人魚プロジェクト》や《水図プロジェクト》などを通してご自身の活動を発表してきました。そのなかで、ブブさんの制作にはつねに他者と共同することが重要な要素としてある気がします。このことについて意識していること、心掛けていることはありますか?
BM: 私が「ものを作る人」になりたいと思ったのは10歳の時です。子ども向けの演劇を見て演出家になると決心しました。大学に入ってすぐに演劇部に入りました。そこで出会った人たちは後のダムタイプを結成しました。ですからコラボレーションという概念を知る前から、私にとってはものを作るのは他者との共同作業であるというのが自然なことでした。ダムタイプの活動を休止してからも、国内外のアーティストやセックスワーカーとの共同作業を沢山行なってきました。今、ひとりで作品を作っていると戸惑うことがあります。作品を作る時、つねに誰かと話すことは私にとってとても基本的で重要な要素です。
YX:今年の春に発表されるプロジェクトに関連して、ブブさんがこれまでに制作されてきた《人魚プロジェクト》についてお聞きしたいです。《人魚プロジェクト》の始まりは、2004年と2005年にオオタファインアーツで開催された個展「人魚の領土」でしょうか?また「ある島は人魚の体である」という観念はどこから生まれたのでしょうか?
BM:そうです。《人魚プロジェクト》は「人魚の領土」というテーマで2004年に始めました。最初に「私の体は土地のようなものだ」というアイデアがありました。それは結婚とセックスワークのふたつの経験から生まれたものです。
結婚しているとき、私は自分と夫との関係がよくわかりませんでした。相手と一緒に居る時に感じる親密さ、楽しさ、怒り、悲しさ、性欲、セックスをすること、一緒にご飯を食べること…。それらの関係がよくわかりませんでした。
離婚後にセックスワーカーとして働くことを選択したのは、セックスワークはこれらの切実な疑問に対して、出来るだけ自己と他者を傷付けないで、あるいは傷付けあうことも覚悟して対峙するための方法のひとつだという予感があったからだと思います。ある日、私はこの仕事が農業に似ていると気付きました。セックスワーカーというのはお客に対して自分の体を使ってサービスをするわけですが、そのために肌の手入れをしたり、ちゃんとご飯を食べて健康を維持したり、生理の時期は休んだり、自分の体の面倒をみる必要があります。自分の体の面倒を見ること自体が、サービスという商品を作り出すための労働でもあります。でも、自分の体でありながら自分ではコントロールしきれない部分があります。私は経口避妊薬を使っていなかったし生理の周期も不順でしたから、生理は小さな天災のようなものだと感じました。農業も、雨の量や気温はコントロールできない。農業が自然の変化を予測して準備するのと同じように、私は自分の体という自然に対して予測と準備をしなければなりません。
セックスワーカーとして売るサービスは私の身体の表面で発生します。見られたり触れられたりするのは身体の表面で、セックスをしたとしても侵入できるのはせいぜい粘膜の範囲までです。ですから、セックスワークは「自分の体の表面に実った、何か価値のある物を売る仕事だ」と思いました。身体の表面を土地だと考えると、農耕や作物の売買、また侵略や占領という行為と、個々人の身体間における力関係との相似についてどんどん連想が広がっていきました。そもそもその土地は誰のものなのか。自分の土地だと思っていたら、知らないうちに誰かがやってきて勝手に「ここは私の土地だ」と宣言することがあります。作物が盗まれることもあります。また、例えば私が自分のおっぱいだと思っているのに「観光業者」がやってきて「これは素晴らしいおっぱいだ」とか言って写真を撮って高く売ったりします。そのような意味で、ヒトの身体は土地に似ていると思いました。
でも土地という言葉は空間的に広すぎるので、ひとりのヒトの身体は大陸というよりも島のようなものであるというのが最初のアイディアでした。
YX:このアイディアが等高線で描いた人魚の体に表れているのでしょうか?なぜ等高線を用いたのでしょう?
BM:等高線は、自分の身体が島だという発見を視覚化するためのひとつの実験です。地形に対する地図や等高線は、人体に対するレントゲンやCTスキャンと似ています。それらはどちらも形としてとても興味深いものです。


上:《人魚の領土/人魚の上陸》より《人魚の地図》2004年、インク/紙
下:《内臓の治療中に病院の待合室で描いたスケッチ》2021年、インク/レントゲン撮影の診療明細書
YX:このプロジェクトは、2004年以来「人魚」のモチーフを中心に展開され、ジェンダーや地理、国境、歴史などのテーマにも触れていますが、「人魚」というモチーフの軸は変わっていない気がします。20年たった今も、ブブさんがこのモチーフに関心を持ち続けている理由についてお聞きしたいです。
BM:人魚というモチーフが地理や歴史に繋がったのは《水図プロジェクト》からです。雨森信(アメノモリノブ)さんという大阪のキュレーターによる「大阪の水の歴史を調べて作品を作るプロジェクト」を経て、同じ雨森さんのキュレーションで2012年に別府の「BEPPU PROJECT」のもとで《水図プロジェクト》が生まれました。
大阪は私が生まれた場所でもあります。過去数百年の間にも海の水位はかなり変化していて、それによって土地の形が変わります。そこを、どんな人たちがどのように行き来し、暮らしていたのか。様々な文化はどこから誰がどのように伝えたのか。それが、私が「海洋民族の歴史」に興味を持つきっかけでした。
私は自分のルーツが海や川に関係の深い民族や職業集団である可能性があると思いました。それは舟で移動し、魚を捕る人たちです。また日本においてはある種の芸能に近い人たちだという説もあります。これらは、これまで女性であることにこだわっていた私にとって「自分のルーツは水に関係ある人達かもしれない」という別のアイデンティティの軸との出会いとなりました。民族的なアイデンティティを意識することは、日本人の私にとっては自分のマジョリティ性を引き受けることであると同時に、今の日本社会におけるジェンダーアイデンティティの息苦しさからの解放だとも感じられたのです。
人魚は一般的に女性のイメージなのはなぜか、ずっと疑問でした。それで世界各地の人魚に対する表象を調べてみると、人魚は必ずしも女性ではないことがわかりました。ジェンダーのよくわからない生き物。そもそも、生き物にとってジェンダーとは何なのか。生き物が生き物である条件と、現代社会のヒトの規範はどのような関係にあるのか。それで「生き物とは何か」ということに興味が移っていきました。そのような意味で、人魚は私にとって興味の尽きない何ものかであり続けています。
ジェンダーの問題

《瀬戸内海 001》水図プロジェクトより 2012年、アクリル/帆布
YX:ブブさんはずっと海と水に関心を持っていますね。今までのプロジェクトの根幹にある「陸−海−水の関係性」について詳しくお聞きしたいです。
BM:ここで私が意識していることのひとつは、マイノリティの歴史です。水は、マイノリティの歴史を象徴していると仮定しています。地上では、島々も含めて力で領地を獲得しようとする争いが絶えません。地上のうちでも湿った地域は、作物にとって豊かな場所であると同時に疫病が発生しやすく建物も建て難いので、日本では貧しい者や病気の者の場所とされてきた歴史があります。水辺や湿地帯とマイノリティの歴史の繋がりは日本では顕著だと思いますが、それは韓国や中国でもそうなのかという関心があります。
また、ヒトの身体上で体液が見られる「湿った土地」は疫病や性や生殖と関係することから忌避や偏見の対象となりがちです。それらは「死」のイメージとも繋がっていて、そのことは「人魚の領土」の根底のテーマであり続けています。
日本語では「地図」に対応するのは「海図」という言葉です。海図に海や大きな河川が記載されるのは、主に船舶の運航のためです。でも水は海や大きな河川だけではなく、小川や排水溝や晴れたら消える水たまりなど、地球上の至る所に存在します。またそれは生き物の身体にとっても同じことで、ヒトの体のなかでも水分の多い所と少ない所があります。このようなことから《水図プロジェクト》では私たちの描くのは「海図」ではなく「水図」だと考えてそのように名付けました。
水は人類にとってあまりにも基本的な要素のひとつです。《水図プロジェクト》では水について中国の「五行思想」を引用しました。木、火、土、金、水という5つの要素が、季節や色や身体の部位などに対応するというこの考え方は私をいつもワクワクさせます。
例えば五行思想で印象的なモチーフである龍は、水のバリエーションである雲や雨や雪や霧などと関係が深いように感じられます。龍と人魚は様々な点で似通っています。
ジェンダーの問題
チョ・ヘス(以下CH):確かに前の作品と比べて、今回の「人魚プロジェクト」では、実物の人間の体は存在せず、ジェンダーも超えた、あるいはジェンダーレスな人魚の体があります。体に対する表現方式の変化もこのことに繋がりますか?
BM:はい。繋がっています。私は最初に演劇を始め、それからドラァグクイーンもやっていました。それらは自分の体を直接使うことです。これまでの作品は、パフォーマンスで自分の体を使う、または自分の体の裸の写真を使うことが多かったです。今はそれをあまりしていません。今回の新しい作品は針金と布で人魚の体を作っています。素材の変化ですね。それは一言で言えば「疲れたから」です。自分の体を消費することに疲れた、というのが一番ピッタリする表現です。自分の体を直接見せたり使ったりというのは、とても大きなエネルギーを使います。様々なリスクも高い。もちろんそれだけ大きな効果があるし、強いインパクトを持つ側面もあります。
でもインパクトがあるからといって、それをやり続けることはやはり疲れます。いつ頃からか、私は自分に対して「疲れたと言う」ことを許しました。「女性だからといって、いつまでも身体を使って頑張らなくてもいい」と。私が自覚的に表現活動を始めてからのこの30年の間に、フェミニズムのあり方も含め、この社会のある部分は少しずつではあるけれど変化してきました。女性が自分の心と声と体を自覚的に使って何かを表現することが増えてきたように思います。自分の身近な女性たち、例えばヘスさん、喜月さんや伴菜さんのような新しい人を含む友達とのやりとりを通して、私はこれまでのように裸を見せ続けて頑張らなくてもいいのだと感じるようになりました。
「がんばったよね!」と、自分を素直に労いたい気持ちもあります。必ずしも身体を使わなくてもいい。絵を描いてもいいし、その時やりたいことをやっていい。再び体を使うかもしれない。何を使ってもいいと思えるようになって来ました。
CH:疲れたということについて、すごくその気持ちが分かります。体の形そのものを作品で表さなくても、そういうジェンダーの意識がベースとしてあると思います。例えば、人間と全く異なる存在を想像することは、ポリティカルな問題から離れるように見られるかもしれないけど、実際にそれは本当にバイオ・ポリティカル(biopolitical)な発想です。
世の中に存在しないものを想像することで既存のシステムを覆すことは、例えばダナ・ハラウェイの動物やサイボーグなどと繋がるフェミニズム理論などが想起されます。
こういう存在しないものを想像することは、既存の生き物のイメージから影響を受けやすく、とても難しいことだと思っています。人魚の形を作る時、参考にした他のレファレンスや理論があればお聞きしたいです。
BM:人魚の体を作るためには、シンプルに人と魚を観察しています。魚をいっぱいスケッチしています。また、魚類と哺乳類と鳥類などの違いについて考えています。基本のイメージにあるのは、クジラ、イルカ、ペンギンなどの形です。また、以前、伴菜さんが画像を送ってくれたゴマフアザラシは今の私にとっては理想的な形状です。それらに共通しているのは、白い大きなお腹ですね。水中の生き物の形状や生態はいつも私の想像力を遥かに越えています。ヒトがある生き物を見てそれを魚だと認識する記号は、鱗やヒレと「横に長い」ということですが、横に長くヒレのようなものがあっても魚類だとは限りません。
生物学者などが科学的に調べる生き物と、人間が想像の世界で組み立てる生き物を比べると、空想状の生き物は、基本的に人間が実際に見聞きしたものの組み合わせでしかありません。私は今、自分が好きな、大きなお腹を持つ水中の生き物を空想で組み立てています。水の中で生きるためにはどんな形である必要があるのか。口と肛門はどう繋がるべきなのか。尾びれの大きさはどれくらいなのかを一から設定します。
それで仮定した形状を、針金の強度を考慮して断面図を描いてみました。そうしたら、それはサバの缶詰でよく見る断面図と同じになって思わず笑いました。何かの物理的な機能や構造を考えていくと、合理的な筋肉の形や内臓の形や配置は共通するのだと。魚類や哺乳類の身体には、筋肉・骨格・皮膚などのいろんな要素がありますが、今は内臓に注目しています。
個人の歴史、文学、『資本論』との繋がり

私は、ダナ・ハラウェイの理論が日本で取り上げられた頃から「これは《人魚プロジェクト》と関係がある」と直感しました。でも、その理論を知る前にまず自分でどこまで考えることが出来るかを確認したかったので、直接読むことはまだあえてしていません。今回、作品をとりあえず言語化する作業を終えたら読むかもしれません。
今回のプロジェクトを始めた初期の2年前頃に『キャリバンと魔女〜資本主義に抗する女性の身体』という本の日本語訳と出会いました(シルヴィア・フェデリーチ著、小田原琳・後藤あゆみ訳、以文社2017年)。「これだ!」と思って読み始めましたが、さらに読み進める前に作品制作の方にシフトしてしまったので、まだほとんど読めていません。厚さが4センチもある本なんです(笑)。
CH:物の形やクリーチャーというものが何なのかを考えるときに、一番の条件として、ジェンダーレスであることを扱っていることが印象深いです。そのこととご自身の作品との関連性についてもう少しお聞きしたいです。
BM:生き物の条件の一つは「増える」ことですね。生き物は生まれて死にます。生まれる/産むための繁殖、増える/増やす方法は色々あります。単体で分裂して増えていく方法、他者と何かをミックスして増える方法などです。私はジェンダーの問題は、繁殖の問題でもあると思っています。
ヒトがヒトを「女性」や「男性」だと判断し認識する時の根拠は何なのか。一般的には「子どもを産むのが女性」または「女性は子どもを産む」、そして「それ以外は男性」と認識されています。だから例えば、私のように子どもを産まない女性は、かつては肩身の狭い思いをしなければなりませんでした。でも生き物によっては、例えばカタツムリなどは卵巣と精巣の両方を持っています。だから卵子と精子を別々に受け持つことは生き物の普遍的な様式ではなくて、両方持っていてもいいし、個体によって持たないこともあるし、生涯の途中で変化することもあり得るということです。魚の中には生きている間に性別が変わるものもいます。現実の生き物はじつに様々なパターンを持っています。ヒトの性別の根拠がその発端は卵子と精子であったとしても、ヒトにとってのジェンダーはもっと多くの要素から成り立っています。
《人魚の領土》における人魚は私が作る空想上の生き物なので、自分が納得出来る要素で成り立たせることができます。今は、卵巣と精巣を同時に持つ人魚を考えています。生殖器は尾びれの中央にあって、尾びれから卵子または精子を放出させ、それが別の個体の精子または卵子と水中で出会って受精します。この人魚の尾びれはちょうどほうれん草のような形状をしています。哺乳類と魚類が属する生物界と、さらに植物界の境界も越境する生き物としての人魚です。
繁殖のための内臓と、個体の生命維持のための消化器や呼吸器などの内臓の関係は面白いと思います。
CH:作品の素材や色など、表現の形について質問したいです。身体を表現するとき、他のアーティストの作品でよく見るのが、赤い血のイメージや実際の内蔵を思わせる形です。前のミーティングで、ブブさんはそういう表現方式よりも、柔らかい色やすごくふわふわな素材を使って人魚のお腹の中を作りたいと言っていました。
そういう透明感がある色を使用するのは、水図を描いたときのパステルトーンの色と似ていて、関連があるのかもしれないと思いました。ブブさんが考えている体のイメージと国境のイメージはどのようにして重なっているのでしょうか?それが表現方式として表れているのか気になります。
BM:私たちが絵画や映画などで目にするヒトの内臓は、死やグロテスクさ、残酷さ、血などのイメージと結び付けられることが多いと思います。とくに血には「死」自体というよりも、「殺す」とか「殺される」といった暴力のイメージがあります。また出産や生理などを表すものとして女性と強く結び付けられてきました。血の赤い色が女性のジェンダーと結びつけられていることが私は子供の頃からとても嫌でした。赤と、それに白を混ぜたピンクですね。なぜある色とあるジェンダーが結び付けられなければならないのか。そして内臓はなぜいつもグロテスクさや恐怖や腐敗と繋がるのか。それはヒトが内臓を目にする場面の経験からくるものでしょう。また「死」を忌避する文化とも関係があるかもしれません。
私は、死ぬことそれ自体やセックスという行為やセックスに関係する体の部分は、「生きる」ということに含まれる基本的なことであるはずなのに、人間の歴史の中でそれらは特別に崇高で神聖なものか、さもなくば特別に汚い、穢らわしい、忌避すべき、隠すべきもの、そのいずれかであったと思います。
私が今回内臓に注目したきっかけは、私自身がこの4年間で股関節とお腹と、あと今年になって痔瘻の手術をしたからです。終わりが無いように思える痛みと苦しみ、そしてその後にあるゆっくりとした長い回復のプロセスに付き合うこと。それは、自分ではコントロールしきれない何ものかに身を委ねることでもあります。摘出した子宮と卵巣を写真に撮っておいてもらってそれを確認もしました。もちろんそれは赤かったのですが、私にはグロテスクだとは思えませんでした。それは私の身体と日常の一部だったからです。「さようなら!おつかれさま!」というかんじでした。
「内臓を表現する」ことを始めたばかりなので、私にはまだ内臓の色を決めることが出来ません。本当は「今、生きている内臓」の色を観察したいのですが、それはとても難しいことです。たぶん「今、生きている内臓」は意外と淡い色だと思うんですよね。白っぽかったり灰色だったり。青みがかった部分もあるかもしれません。試験管の中の採血された血液には鮮やかな黄色い部分があります。
ですから、今はできるだけ、これまで内臓が与えられてきた色やイメージにとらわれずに、「ニュートラル」な状態で始めたいと思っています。今はとりあえず、その感触が好きなのでガーゼや綿を使っています。だけど、ガーゼや綿の「白」や「生成り色」は果たして「ニュートラル」なのかという問題もあります。白が優れたものであるというのはひとつの思いこみだと思います。ガーゼなど大抵の製品は漂白されています。「汚れが目立ちやすい」という衛生上の理由もありますが、でも「漂白」というのは、ヒトと他の微生物との共存にとって矛盾する行為でもあるかもしれません。ですから「白」がベストの選択だとは思っていません。
今はできるだけ色に対する偏見やイメージについても意識したいです。結論はまだ出ていません。ただグロテスクさは内蔵に対する古いイメージだと思うので、そうではないことを表現してみたいです。自分の手術の経験から、痛みや苦しみの後に、またはそれと交互に現れる「晴れやかさ」や「安堵」や「祝福」のイメージがあります。
《水図プロジェクト》で瀬戸内海を描いた時に使った色は、瀬戸内海の大阪湾と別府湾の間をフェリーで移動した時の、出航時の夕暮れと入港時の朝焼けの空の色です。甲板から見えるのは空と海だけです。その時の印象を表現したいと思いました。
CH:ブブさんは以前、他のインタビューで「死ぬことを扱うのは生きることを扱うことと同じだ」と話していました。また、最近はコロナ禍の状況で作品《S/N》について度々考えたりすると聞くと、いつも体や病気、そして死との繋がりを感じます。そして、それがただ怖いものやグロテスクなものではなくて、「死」ということが国家や社会によってどのように見なされるのか、どのようにコントロールされているのかについて問題意識を語っている印象があります。今回の作品にもそういう繋がりはあるのでしょうか?
BM:はい。とても繋がっていますし、まさにそのことをずっと考えているとも言えます。「死」とはどういうことか、「死」とは何かということを、ある共同体がどう認識するのか。それは宗教であり、哲学であり、政治であり、「社会通念」と呼ばれるものです。それは時代によって変化するし、地域によっても違います。私には、とても身近な数人の人の死のケアや看取りを通して、生きることと死ぬことは繋がっているという実感があります。潮の満ち引きのように、または太陽の見え方の変化のように繋がっていて、はっきりとした境界はありません。
海洋民族にとって「人間は死ぬと海の底に行く」という信仰や伝承があるということを知った時に「なるほど!」と思いました。キリスト教社会では死ぬと天など上の方に行くことになっています。悪いことをしたときは地獄に行きます。でも、アジアの海洋民族や南アメリカでのイメージ、つまりキリスト教圏以外の信仰や伝承では必ずしも上方ではないです。海の底に死んだ人たちの世界があるという考え方を伝えてきた文化があります。アフリカやその他の地域についてはまだ知らないのですが。それも知りたいです。
このようなことから、人魚など水を住処(すみか)とする生き物は死者の世界のメタファーにもなり得ると考えました。私自身、海の底に対する憧れがあります。今回の展覧会会場も、そこが水底だというイメージです。
CH:それが今はいなくなった人たち、例えば歴史や神話上の人たちと繋がるのもそういう理由として、ですかね。
BM:そうです。そこにあるのは、死んだ人とどう対話するかという問題でもあると思います。海の底に行くと死んだ人と話ができるかもしれない。さきほど私は、海洋民族は差別された被抑圧者でもあり、社会の中で地位が低い人たちと関係が深いのではないかと言いました。そこには亡くなった人も含まれると思います。声を奪われた人たち、忘れられた人達です。それは、歴史を作り変えられたり、抵抗できない人たちとも重なります。なので、死者の声に耳を澄ますことはとても大事なことです。お互いに抑圧と被抑圧の複合的な関係の中で、それが可能な場や関係性のメタファーとしての海底、海、水があると思います。
東アジアという地域に注目したとき、その領域は大陸と半島、そして多くの島でできています。だから、境界に対する感覚が欧米社会とは違うのではないでしょうか。地続きの地上の領土とは異なるルールの海域で、かつての日本帝国が他者への侵略が可能だと思ってしまったのは、ひとつには境界が曖昧だから「ここは自分のものだ」と勘違いしたのではないかと思います。水には「侵犯してしまう、犯してしまうという性質」もあるのではないかと思います。
平河伴菜(以下HH):《水図プロジェクト》で《水図_2012》という絵画作品を制作していますね。今回のプロジェクトでは東アジアの海域をテーマに「水図」を制作していますが、《水図_2012》から引き継がれている軸についてお聞きしたいです。
BM:《水図_2012》は瀬戸内海の海図を裏返した形を描いています。人魚が海の底から見上げたら裏返しになるだろうからです。瀬戸内海は大阪湾と別府湾をつなぐ領域ですが、その絵はいくつかの海峡で途切れています。それはキャンバスのサイズの問題でもありましたし、「その続き」を描くことを想定もしていました。次は関門海峡を経たところにある朝鮮半島や中国大陸や、その間にある島々の領域を描きたいと思っています。なかなか実現しなかったのですが、今回はその入口にはたどり着けた気がします。
今回、「『東アジアの海域をテーマにした水図』を制作したい」と、みなさんにお伝えして、そしてみなさんから色んな話や図や写真を提供していただきました。でもその『水図』はまだ完成していません!当初の予定よりも、内臓を作ることに時間がかかってしまったので、展覧会には間に合わないかもしれません。ごめんなさい!でもこの『東アジアの海域をテーマにした水図』は引き続き作って行く予定です!
HH:今回のプロジェクトでは、私たちと数ヶ月間話してきました。その中で、個人的な歴史や体験を話し合い、違う地域について互いに学び合う機会があったと思います。それは、ブブさんが私たちや対象地域について知ると同時に、私たちも自分自身のことについて知る機会でした。ご自身のプロジェクトの参加者がこのようなプロセスを体験することについて、考えていることや感じたことはありますか?
BM:なぜこのようにして皆さんの話を聞くようになったのかということとその意味については、その発端は別府での経験にあります。《水図_2012》の制作のために、瀬戸内海の大きな既製品の地図を、別府のあるカフェに展示していた時のことです。私たちは街の人たちに作品の説明をしようと思ってそのカフェをお借りしていました。ある日、その地図を長い間黙って眺めているひとりの女性が居ました。私も黙ってそこに居ました。そうしたら、彼女が突然自分のことを話し出しました。「じつは自分はこの地図上のここで生まれて、こういう理由があって、ここを渡って、この船でやって来て今は別府にいる」と。私は、彼女がその地図をずっと見ていた横顔が忘れられません。彼女はその図を見て何かを思い出していたのだと思うんです。今も、この出来事は何だったのだろうと思っています。それは私が「よそ者」だったから話せたことかもしれない。それから、何の説明もない、ただの大きな地図だったからこそ彼女が思い出したことがあったのかもしれない。この1枚の地図が彼女に何かを思い出させ、そして「よそ者」である私に何かを話すきっかけになった。それがとても強い印象を私に残しました。
私たちは作品を作るときに、他者の人生について調べたり聞いたりすることがあります。それは多かれ少なかれ暴力的なことです。本当にその人が話したいのか、思い出したいのかは本人にも分かりません。その人が個人的なことを思い出して話すのにはリスクを伴うことがあります。しかも、それが作品という商品になる可能性があります。私はその残酷さや暴力性が気になっていました。そんなことを考えながら、別府には3年間で7回、合計70日以上滞在しました。その経験から私は個人の歴史や記憶を交換する関係性のあり方について改めて学びました。逆に言えば、私は自分がアーティストだからという理由で、結婚していたことやセックスワーカーだったことについて話してきましたが、それは自分にとって大変なことだったかもしれないのです。平気だと自分でも思い込んでいましたが、やりすぎたこともあったのではないかと最近は思います。後悔はしていないし、その時の自分の選択は間違っていなかったと、過去の自分にはいつも伝えるようにしています。同時に、そういう自分に対するケアも必要だと思います。本当に、心の底から自分のために話しているのかということに意識的になりたい。人の話を聞き合える、話し合える、または黙っていてもかまわない関係がどういうものかは、これからも私の課題です。
今回のプロジェクトでも、ヘスさん、喜月さん、伴菜さんに少しずつ話をしてもらえました。それがよかったのか悪かったのかまだ私には分からないし、絵も描けていません。私がそれを聞いて、どんな返答ができるのか、その過程はまだ続いています。
私がなぜ他者の話を聞きたいのかという質問に対しては、それもやはり別府での経験から言えることがあります。別府で私は社会学者と協働して土地の歴史を調べました。そこには別府の人たちも知らない歴史もありました。有名な観光地として土地を商品化して、そこで生きてきた人たちですが、なぜ別府に魅力があるのかについてあまり自覚的ではないことも多くありました。私とその社会学者が別府について調べたことを視覚化したときに、それはエンパワーメントになったかもしれない。自分の家族や生まれた土地があまり好きではない場合もあるかもしれない。でも「ここにはこんなことがあった」と客観的なことを示されて「そうだったのか!それなら案外良いところかもしれない」と感じることがあるかもしれません。それが出来るのは「よそ者」の特徴のひとつだと思います。私たちはそういうことを言うだけ言って去って行きます。良いことも悪いことも残すかもしれない。その残酷さや暴力性とエンパワーメントの両方があることを別府では感じました。個人的な記憶や歴史的背景を聞くということの良い点のひとつはエンパワーメントだと思っています。
HH:文学とご自身の作品の関係についてお聞きしたいです。例えば《水図プロジェクト》の冊子では、ガブリエル・ガルシア=マルケスや宮沢賢治の言葉を引用していました。また、最近だとオオタファインアーツでマリア・ファーラさんの個展「Overseas」に寄せて「女らしさの旅」という文章を書いていますよね。
BM:私は文学と演劇と映画が好きです。そのルーツはたぶん父親の存在です。私の父親は若い頃に映画監督を目指して、後にテレビドラマのディレクターになりました。父は彼が子どもの時に親との関係が複雑だったので、父は私にどのように接していいか分からないことを自覚していました。それで「教育は本に任せる」と私に宣言して、とても沢山の本、特に世界の文学全集を私に買い与えました。だから私は小さい頃から本を読むのがとても好きで、父の計画通り文学によって育てられた部分があります。演劇も映画も父に連れられて通いました。「一流のものを観なさい」というのが父の口癖でした。憧れや冒険、人間とは何か、美しさと醜さへの驚きの原点が、父から最初に与えられた文学の中にあったし、それは私が空想する光景をともなって、さらに深く濃密な世界観として成長し続けているように感じます。
マリア・ファーラさんの作品に寄せてテキストを書かせて頂いたことは、結果として女性のアーティストどうしのシスターフッドとして私にもマリアさんにも感じられたので、とても嬉しかったです。
HH:体を領土として見たときに、現代社会における土地と財産の関係性が見えてきます。今回のプロジェクトでもカール・マルクスの『資本論』をレファレンスとして取り上げていましたが、こうした理論とご自身の作品の関係性についてお聞きしたいです。
BM:私は恥ずかしながら資本論を読んだことがありませんでした。先日、初心者向けのある解説書を読んだことと、現在ある人の資本論の朗読のシリーズを聞いている中で、私が興奮している2つのポイントがあります。ひとつ目は、「共有の富」の概念です。例えば今の日本社会では、公園からホームレスが排除されたり、私のように足が不自由な者が休むことのできる公共空間のベンチがほとんど無かったりします。都会に行けば行くほど、無料でちょっと腰を下ろす場所はありません。座ろうと思ったらお店に入ってお金を払わなければならない。街なかでちょっと腰掛けて休憩することすら商品化されているわけです。人間や社会にとって必要な富は、水や空気などの自然だけでなく、公園や図書館、美術館、学校なども含まれると思います。お金がなくても誰もが使えるべきところとして、そういった場所がある。その共通の富が、今はどんどん商品化されています。大学ですらそうです。学生は奨学金という名の借金を背負わされる。医療や福祉で働く人の待遇がなかなか改善されないことも関係があると思います。今日本が抱えるコロナ対応の問題には、見捨てられる人とそうでない人との線引きがあるように感じます。公衆衛生や医療など、誰もがアクセス出来るべきことがどんどん商品化されていくことに対する危機感が私にはあります。教育・文化は、その最たるものであるはずなのに、それすらもどんどん過剰に商品化されつつあるのは、公園にある大きな木が切られるのを見ることと同じくらい、私には強い痛みです。図書館や美術館などだけでなく、映画館などのインディペンデントな空間も、公的な資金を使うことで、お金の少ない人にももっと使いやすくあるべきだと思います。
もう1つは、労働とは何かという話です。私の今の作品では直接関わりがないように見えますが、私が労働に関心を持つ理由は、自分がセックスワーカーだったときのお客たちが全員労働者だったからです。しかもいわゆる肉体労働の人が多かった。お客に身近に接すると、その人の健康状態が分かることがあります。例えば働きすぎで休めていないとか。病気の不安があるのに病院に行けない事情があったり、保険証が無かったり。また、選挙の話をしてみると「選挙に行ったって政治は変わらへんしな」と多くのお客は言います。彼らの、自分の仕事に対する諦めや自分の体に対する無関心さを、それがそうならざるを得ない状況を、私は14年間従事した仕事を通じて痛感しました。日本社会全体が労働者を大切にしていないと思いました。その意味で労働への関心があります。今は特にエッセンシャルワーカーの存在が意識されていますが、やはりリスペクトが足りないと思います。私が『資本論』に関心を持つ動機は、労働者、つまり人間や生命を大切にしない社会に対する危機感です。
HH:今回のプロジェクトの出発点にある考えとして、「国」という領土の線引きや日本という島国を形作っている「境界線」というキーワードがあると思います。ブブさんは、そのことを考えるとき「現在の日本の文化は大陸や半島を先輩として学んできたということと、その後の植民地主義や侵略戦争の歴史をどのように捉えるか」の2点が重要だと言っていました。
このことについて、このプロジェクトを通して考えたことはありますか?
BM:今日、日本という言葉で示される領域の文化は、文字もあらゆる技術も、ほとんどが中国大陸や朝鮮半島から誰かが伝えてくれたものをお手本にしています。だから私は中国や朝鮮の文化は日本にとって大きな恵みをもたらす親や兄や姉のような存在だと思っています(現実の親や兄や姉が必ずしもそうであるとは限らないですが)。私は、アーティストである以前に日本で暮らす一市民として植民地主義と侵略戦争の歴史認識に対する近年のバックラッシュに危機感を持っています。近年、とくに日本の侵略戦争の加害の歴史を否定しようとする人たちが増えてきているように感じられるし、それはすごく危険な状況です。倫理的にも許されないし、今後また同じことをくり返す可能性にも繋がるからです。そのことと自分と他者の体や領土に意識的になることは関係している気がしています。過去になぜ侵略したのか。またなぜ侵略したことを認めないのか。これは、例えば「ヘテロ男性の本能だ」とよく言われるようなものではけっしてなく、ジェンダーの刷り込みによって扇動される「男性はこうあるべきだ」という規範が暴力をも容認するのではないかと思っています。それは他者への侵犯だけでなく、男性が自分自身の身体をも疎外することになる規範です。
身体と国境については、陸上でも海の上でも、国境はあくまでも人間が作ったものです。では自分自身の領域はどこまでなのか。好きな人と話が盛り上がったり抱き合ったりする時、または暴力をふるったりふるわれたりする時、自分と相手の境界が曖昧になる瞬間があります。個人の領域も国境も固定した線ではなく常に揺らぐ幅があります。そのように変化するものが「境界の領域」だと思います。
AM:今日、ロシアがウクライナに対する侵略作戦を実施するニュースが出ました。この日に、この話を聞くということはなおさら興味深いと思い、聞いていました。3月末に世界情勢がどうなっているのかわからないですね。
BM:新型コロナの状況もどうなるか分からないし、ウクライナとロシアのことも今の私自身と繋がっていると思います。日本人がどこまでどのように関心を持つことが可能か。忙しくてそれどころじゃないという人たちも多いでしょう。でも、我々はやはり人間としてこの問題に繋がってるということを言っていきたいです。
AM:次回の課題になると思いますが、まさに商品あるいは土地であるセックスワーカーの体と、メディウムとしてのパフォーマンス・アーティストの体、そして「国体」という日本の天皇制を推し進めていった「国家主義の体」があります。このことについては、あと2時間以上は話すことができると思います。
BM:そう思います。今回はセックスワークの話が少しですが出来て良かったです。美術関係の、特に日本でのインタビューでは、セックスワークについてほとんど聞かれたことがありません。その理由は、たぶん、「よくわからないから」ではないでしょうか。聞き手がセックスワークを人権の問題だと明確に意識できない、または芸術表現との関係がわからないということで、避けられてきた、無視されてきたと思います。でも私にとっては、自分の表現活動とセックスワークは切り離せないですし、言語化もしたいです。それは全く個人の経験ではあるけれど、同時に国体やナショナリズムと深く関係していることだと思うからです。つまり、家父長制とフェミニズムの話そのものだと思うのですが…。それはまた、ぜひお話ししたいです。
《人魚の構造スケッチ/断面図》2021年、インク/紙