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  • Keisuke Nakaya

Hello! Hirosegawa

キラーギロチン夏期限定ポップアップショップ「Hello! Hirosegawa」


中谷圭佑


展覧会名:Hello! Hirosegawa

会場:ART DRUG CENTER(石巻)2階、キラギロギャラリー

会期:2021年8月14日~9月26日(毎週土日のみオープン)




 本店はReborn-Art Festival 2021(夏)の会期に合わせて「石巻のキワマリ荘」代表の鹿野颯斗によって企画され、石巻で運営されている3つのギャラリーを中心に開催中の展覧会「手つかずの庭」の参加作家、キラーギロチンの展示企画である。キラーギロチンとは東北大学内で結成されたアーティストグループであり、現在は宮城県仙台市を拠点に活動しているようだ。2020年3月よりART DRUG CENTER(石巻)内のキラギロギャラリーを運営し、「キラーギロチンin石巻」プロジェクトと題して展示を行っていた。本店はこのプロジェクトの延長線上としてキラギロギャラリーにおいて開催された第9回目の展示ということになる。


「Hello! Hirosegawa」展は夏期限定ポップアップショップと銘打っている通り、これまでキラーギロチンがおこなってきた石巻でのリサーチを元に描かれたペインティングや映像作品によって構成されていた展示とは大きく異なる。展覧会ステイトメントのかわりに掲示されているのは無人販売所の購入案内であり、いくつか絵画や映像が補足説明的に展示されているものの、あくまでメインとされているのはZINE、Tシャツ、缶バッジ、ステッカー、キーホルダーといったグッズたちだ。作品説明のように単管に貼られた文章も、近づいて読んでみるとメンバーによって書かれたモクズガニの生態についての論文である。川で水遊びをし、そこでのカニとの出会いをつづり、悪ふざけのようなグッズを作って販売する。ART DRUG CENTERの2階の和室で展開されるこのカオティックな空間を、はたして展覧会としてレビューすることは可能なのだろうか?そのためには少しキラーギロチンのこれまでの活動に着目し、キーワードをピックアップする必要があるだろう。



 現体制のキラーギロチンによってはじめて行われたパフォーマンスとその映像作品「テトラポッド人間」は、段ボールで再現されたテトラポッドを被った数十人が、七夕祭り前日で賑わう仙台の街を練り歩くといったものだった。(このとき現メンバーのナカヤ・岩間はゲストメンバーとして参加している。)メンバーの1人である石津は、せんだいメディアテークのボランティアスタッフとして参加した市民参加型ワークショップ「ワケあり雑がみ部」において、子供達との会話の中でこのゲリラパフォーマンスを思いついたという。石津は子供達やその親御さんとの会話の中で何気なく「夏休みだし海に遊びにいったりしたの?」と聞いたそうだ。子供達は口を揃えて行ってないと言った。親御さんたちの話によると、東北を襲ったあの未曾有の大震災と津波以来、何となく海は近寄り難い場所になってしまったという。そのことを知り、石津は海にある人工物のテトラポッドに目を向け、海と共に忘れられていくかもしれない彼らを「テトラポッド人間」として街に出現させてみようと考えたという。


「Hello! Hirosegawa」展におけるキラーギロチンの水遊びの手つきは、2019年に制作されたこの映像作品をどこか想起させる。キラーギロチンには現在、大学院で土木工学や都市・建築学、環境科学などを専攻しているメンバーがいるが、彼らは海や川といった私たちの周りにある自然環境がときに凶暴に人間に牙を剥くことをよく知っている。そしてその自然環境は、人類が自らの生存のために絶えず手を加えてきたものでもあるということを、その専門性をもって深く理解している。その上で彼らは、いかに眼前に広がる流動的な環境で遊ぶかということを試みるのだ。そしてこの“遊び”は無邪気に、徹底的に行われる。まるで絵日記を書くかのように書かれた川遊びに関する報告書を彼らが見せてくれたとき ーそこには川で実際に見つけた生態系や環境に関する調査から、川をよく知る現地の人の話や、その土地の歴史までが詰め込まれていたー 私は思わず感心して笑ってしまった。キラーギロチンは直感的に知っているのだろう、現実の問題にいつまでも向き合い続ける、そして人々を向かわせるためには、真摯な“遊び”が必要であるということを。 

 興味深いのは、このような“遊び”を経て、彼らの芸術表現はあくまで絵画と映像に向かうということである。ポップアップショップというテイをとることによって絵画と映像が補足的なものに見えるが、しかし実態は絵画と映像の制作過程における副産物が「Hello! Hirosegawa」で販売される安価な作品群、グッズなのである。




「手つかずの庭」企画のキュレーターであり石巻出身のアーティスト、鹿野颯斗は本企画ステイトメントの中で


「震災について考えさせられ、街のために何ができるかと問われ続けてきたこの地で一番重要なことは、そういったことに囚われずに、当事者か非当事者かも関係なく活動できる空間を作ることではないのか」


と記している。この言葉が、自らを非当事者と認識しながら、「キラーギロチンin石巻」プロジェクトを通して非当事者の語りの可能性を模索してきたキラーギロチンにとって難題であったことは想像に難くない。2021年3月に「キラーギロチンin石巻」プロジェクトの記録・報告展として企画されたものの、新型コロナウイルス感染拡大の影響で臨時休館となり急遽閉幕してしまったせんだいメディアテークにおける個展「登録手記」のステイトメントの中で、キラーギロチンは以下のように自らの問題意識を吐露している。


「“非当事者”の語りの不可能性を打破することができなければ、いまもまだ続いている大規模な土木工事が終わり、“当事者”たちの孫やひ孫が大きくなり、その土地に“非当事者”しかいなくなってしまったときに、語られるべき土地のナラティブはコンクリートの劣化とともに風化してしまいます。」



 多くの大切なものを奪っていったあまりにも大きな災害と、これを取り巻く政治的な諸問題とが、時間の経過とともに人々をよりイメージの世界へと閉じ込めてしまっているように思えてならない。そのような状況の中でキラーギロチンが自らの制作過程において真面目に“遊び”を志向するのは、ともすれば現実から目を背けた先で容易に陥ってしまうイメージの世界から、常に自らを脱し、現実の世界に向かうためなのかもしれない。

 震災に囚われずに当事者か非当事者かも関係なく活動できる空間を作りたいという純粋な思いは、震災に囚われざるをえなかった自らとこの地を訪れる異邦人にかけられた呪いを解きたいという葛藤と優しさのように私には思える。しかしそれは、意識的に目を背けることでむしろより強く囚われてしまう結果になりえるとも考えられる。震災に囚われないために震災を知り、そのものを語れずともあくまで震災を含めた現実と向き合い、非当事者としてできることを試みる。キラーギロチンが膨大なリサーチの上でたどり着いたのは、現実逃避ではなく、現実直視の身体的な“遊び”と、そこから生まれる芸術表現による語りであり、だからこそ与えられた難題に対して、住民も観光客も迎え入れる「ポップアップショップ」という展示方法で答えたのではないだろうか。



 本展においてキラーギロチンは、お手製のコンクリートや、ロゴが刻まれたステッカーなど、様々なグッズの販売を通してこの店を訪れる人々と制作過程の“遊び”におけるささやかな共犯関係を築こうと試みている。だからこの展示には大袈裟で啓蒙的なステイトメントは存在しない。なぜカニなのかとキラーギロチンに問えば、彼らはそこにカニがいたから、としか答えない。そこに川があって、古い水門があって、海があって、新しい堤防があって、そこに住むカニがいて、そこに住む人がいて、生活があって、政治があって、遊びがあって、問題がある。捉えづらくなってしまった眼前の環境の現実をまずちゃんと見つめなおすところからはじまったキラーギロチンの活動は、いま、“遊び”のかたちをした祈りとなって、2021年の石巻の夏に存在している。








追記

どうやら本展の会期が終わる頃にパフォーマンス?儀式?ラジオの公開収録?イベント?が企画されているようだ。詳細はまだわからないが、もしタイミングがあえば改めて石巻に訪れてみようと思う。


参考URL














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