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アートの制度と教育を考えなおす:グローバルに活躍するアート・コレクティヴの実践についてレオナルド・バルトロメウス インタビュー

インタビュー/ コーマン・ベンジャミン、ベストペン・クレオ、リユー・シャロン

平河伴菜訳

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はじめに

現在は山口情報芸術センター(通称YCAM)にてキュレーターを務めるレオナルド・バルトロメウス。彼はドクメンタ15の芸術監督を務めたインドネシアのアート・コレクティヴ「ルアンルパ」の一員として長年活動してきた。

近年では、「アルテ・ウティル(有用芸術)」の概念や方法論をヒントに、YCAMにて地域とアートスペースの可能性について模索している。有用芸術とは、ソーシャリー・エンゲイジド・アートを代表するタニア・ブルゲラが提唱した概念であり、社会問題にアートの手法を用いて取り組む実践である。

 

現在YCAMでは、この考え方をもとに、制度機関としての役割や地元コミュニティとのつながりについて見直しがされている。その一環として、バルト氏はコロナ禍期間より「オルタナティブ・ラーニング」プログラムや「セラム クリクラボ:移動する教室」の企画に積極的に取り組んできた。2022年夏には、イギリスよりアリステア・ハドソンとジョン・バーンをゲストとして招聘し、「YCAMオープンラボ2022:アートは使える?–––くらしとの接点を探る」と題した公開シンポジウムを開催した。本シンポジウムの準備段階よりYCAMスタッフや他のゲスト、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科(GA)よりアンドリュー・マークルと学生たちも参加し、実に多様な視点を交えた活発な議論がなされた。

 

本インタビューはこうした対話を踏まえ、バルト氏のこれまでの活動について更に理解を深めるために、GAの研究生3名(ベンジャミン・コーマン、クレオ・ベストペン、シャロン・リュー)により執り行われた。以降では、英語で行われたインタビューの抄訳を掲載する。

 

コレクティヴという原点

まず、バルト氏のキュレトリアル実践の出発点として、インドネシアにおける社会状況の歴史や政治背景について伺った。特に、ルアンルパ発足の直前に起きた90年代の学生運動の影響にも注目した。

バルト氏によると、インドネシアでは1998年の学生運動によって古い教育制度が刷新され、21世紀のポスト改革期には平等な社会階級と地位のもとで学ぶという新しい仕組みが、元教育大臣キ・ハジャル・デワンタラの考えをもとに実現された。ルアンルパの活動とこうした社会の流れの直接的な関係を見出すことは難しいが、振り返ると90年代の改革後になって、ルアンルパは多様な問題に様々なメディウムを用いて果敢に取り組んでいったと言えるだろう。

ジャカルタ拠点のクンチ・スタディー・フォーラム&コレクティヴと活動する研究者のアンタリクサは、90年代以降に立ち上がったインドネシアのアート・コレクティヴの特徴を3つ挙げている。それらは「3N」と総称される以下の点である–––ノンクロン(nongkrong)、ニャントリック(nyantrik)とネベン(nebeng)。ノンクロンとは「たむろする」こと、ニャントリは教師の行う一切の事を真似て学習すること、そしてネベンは共に生活することを意味する。これらの3つの特徴は、個人の成果の重要視や競争率が増していた評価されたスハルト政権下におけるアートとは区別され、コレクティヴによるアート特有の側面として捉えられる。

またインドネシアのコレクティヴによる活動は伝統と歴史を起点とし、国際的なアートシーンにおいて注目されている。バルト氏は、同じような傾向を持つアートは「グローバル・サウス(南半球)」において顕著だと言う。例えば、グローバル・サウス全域で活発であるアーツ・コラボラトリーは、正しくそのような団体である。社会のインフラが欠如し、闘争が多発している南半球の地域では、集団で活動する事が多い。一方で、各国や地域で活動するコレクティヴは、それぞれ異なるかたちで組織されている。2022年に開かれたドクメンタ15を振り返ると、こうしたコレクティヴの活動がローカルな政治状況と強く結びついていることが分かる。コロンビアの「マス・アルテ・マス・アクシオン」やタイの「バーンヌールグ」は、地元の先住民の人々と連携し、地域における闘争や抑圧と向き合っている。他にも、セネガル、南アフリカ、コンゴ、ケニアでも、同様の戦略でコミュニティと協働し、活動するコレクティヴが見られる。

 

 

YCAMでの活動–––有用芸術の実践

次に、バルト氏の昨今の活動において重要である「有用芸術」について尋ねてみた。彼がこの考えと初めて出会ったのは、2015年にルアンルパとフィクサー(注1)の展覧会を練っていた時だ。当時は、ルアンルパの活動をグローバルな文脈から読み解こうとしていたが、一方で国際的に注目を集めていたニコラ・ブリオーの「リレーショナル・アート」とはまた異なる位置付けにあると感じていたそうだ。

フィクサーの展覧会は実現しなかったものの、平行してファン・アッベ美術館館長であり、有用芸術に関心を寄せていたチャールズ・エッシェとの関係が続いていた。また、当時はリバプール・ジョン・ムーア大学とジョン・バーンや、グッドスクールとリバプール・ビエンナーレの協働プロジェクトの話も上がっていた。バルト氏は、YCAMへ移動した際、それまで築いてきた繋がりを一緒に持ち込んだ。また、YCAMという新たな文脈において、有用芸術に関する疑問がより一層重要性を帯びてきたと話す。

もともとミュージアムといった制度機関の枠組みに縛られず、地域における活動に従事していたバルト氏にとって、日本におけるキュレーターとしての仕事は戸惑うところもあったそうだ。とりわけYCAMでは、地域とミュージアムの間に、既に固定されたある関係性が見られると指摘する。つまり、ミュージアム側は「完璧なサービス」を提供する事を求められ、また来館者も決まった振る舞いや考え方をしなければならないと思い込んでいる。バルト氏はこうした固定化された枠組みを解体しようと日々取り組んでいる。

「オルタナティブ・ラーニング」プログラムは、そうした試みの一つである。本プログラムは、その名称が示す通り、YCAMを通常の教育制度とは異なる学びの場として活用することを目的とし、同時に地域のなかで横の繋がりを促進することも意図している。また「セラム クリクラボ:移動する教室」では、参加型のプロジェクトをYCAMの空間に持ち込み、地域の人々がミュージアムの様々な枠組み(制度や規則)で緩やかに遊べるような場を作り上げた。ミュージアムの実際のスペースをこのように活用していく事は、地域や人々と直に繋がる経験を地元の来館者に与えると考えられる。

さらに、より大きな構想として、YCAMの制度機関そのものを変えることを目指しているとバルト氏は話す。例えば、アリステア・ハドソンやジョン・バーン、東京藝術大学との協働プロジェクトなどを通して、外部からの多様な視点をYCAMの中に取り入れようと努めてきた。また制度の内側からの変革の戦略として、職員を対象に、YCAMを批評的に見るアンケートの実施を計画している。

 

ローカルとグローバルな視点

こうしたバルト氏の活動は、フランスの海外県の一つであるマルティニーク島出身の詩人であり、批評家のエドゥアール・グリッサンが示す「列島的な思考」に通ずるところがある。それは、YCAMを地域にとって意義のあるものにしていくと同時に、広くグローバルに、多様性に開かれた形で実現している所に伺える。こうしたローカルとグローバルな視点を、キュレーターとして、あるいは「文化の翻訳者」としてどのように保っているのか尋ねた。

すると、海外から来て日本で仕事をするうえでは、常に「文化の翻訳者」である必要があると彼は話した。それはつまり、特定の地域における課題が他の地域における問題とどのように繋がるか、といった対話を心がける事だ。山口市では、自分自身がそうした会話のきっかけとなり、また同様に地域の外からアーティストを招き入れる事で、地元の人々の視点を少しずつ変えていこうとしている。

インドネシアという列島に住んでいれば、そのように文化的なコンテクストに応じて身の構え方を変えていくことはある意味必然的であるため、慣れているとバルト氏は言う。また、インドネシアでは経済的資源が限られるなかで、色々な文化圏の考え方を取り入れて組み合わせるという「スカベンジャー・キュレーション」の実践が広まっている。

他方でこうしたアートの実践は、日本や他の異なる文化的コンテクストでは、オルタナティブな手法として評価されがちである。そのような現状を前に、植民地主義的な視点は本当に解体可能なのかという疑問を抱かずにはいられない。バルト氏は、グローバルな文脈において脱植民地主義の実現は難しいだろうと推測する。しかし重要となるのは、如何にオルタナティヴな考え方を自らの実践やコミュニティに繋げていくかという点である。また、議論が一過性のものに留まらず、変化をもたらしていくためにはどのような工夫が必要か考える事が肝心だ。

最後に、バルト氏は以下のように述べた–––ルアンルパがドクメンタ15で示した事はすべてコミュニティに既に存在する。ただこれまでは誰も注目せず、実践に取り入れて来なかっただけだ。こうしたアートの傾向は、「脱成長」やミュージアムの縮小化といった考えに繋がって来るだろう。それこそが今YCAMと共に考えていきたい事だ。どうすればより小規模で、地域にとってエコロジカルなシステムを実現できるだろうか。

 

注1:フィクサーとは、インドネシアで活動するアート・コレクティヴの運営や継続方法について、知識を収集し、アーカイブする研究プロジェクトである。本プロジェクトはもともと、2010年にジャカルタのノース・アート・スペースにより「インドネシアにおけるオルタナティブ・スペースとアート・グループ」という研究プロジェクト兼展覧会として立ち上げられたが、のちに「フィクサー(FIXER)」と呼ばれるようになる。

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