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グローバル時代の芸術文化概論
「意図なき空間にむけて:今日のアートのための空間における可能性」

日時:2017年11月11日(土)15:00~17:00
場所:東京藝術大学 上野キャンパス 音楽学部 5-109教室
講義者:胡昉(フー・ファン)(フィクション・ライター、キュレーター)
通訳:田村かのこ
​文字起こし:中谷圭佑

住友:

 お待たせしました。特別講演会「フー・ファン -意図なき空間にむけて」にお越し頂きましてありがとうございます、国際芸術創造研究科の住友といいます。今日はフー・ファンさんをお招きして、研究科でグローバル時代の芸術文化概論という授業をやっており、その公開講座になります。
 フー・ファンさんをまずお呼びした理由をいくつか私の方で説明して彼に渡そうと思うんですけれども、彼と一番最初に会ったのは2006年に中国の広東美術館で企画した展覧会の時に、彼のスペース、「ビタミン・クリエイティブ・スペース」という場所を初めて訪れた時です。その時の印象がとても強くて、いわゆる中国の何でも食べ物を売っている市場の雑居ビルの中にギャラリーがあったんですよね。その何ていうのかな、コンテンポラリー・アートっていう匂いとは違う場所にそういうスペースがあって、そこで初めて会った時にかなり長い時間、話をする時間を取ってくれていて、そうした時間の使いかたとか、彼自身が自分が書いた文章について紹介してくれ、そのいわゆる駆け足で色々なギャラリーを巡るみたいなですね、そういうことを我々やりがちなんですけども、それと全然違う出会い方をした事がとても印象深かったんです。その後、小崎哲哉さんという人の企画でメールを使った雑誌のために意見交換をしたことがきっかけでフー・ファンさんとは知り合いました。
 その後も何度か会っていますが、このレクチャーシリーズで彼を呼びたいと思った理由は2つありまして、1つは3年前にソウルで一緒に参加したシンポジウムでミラード・ガーデンという彼の新しいスペースの話をしていたんですね。残念ながらその後私はそれを見に行けていなくて、その後どうなったかをちょっと聞きたいので呼びたいなと思ってました。その時に聞いた考え方が、実は私がアーツ前橋という美術館で「ここに棲む(リビング・ローカリー)」っていう展覧会を一昨年やったんですけども、その時のコンセプトともすごく通じるものがあって、その際に日本に呼ぶよって言っていたんだけど実は実現していなかったので、この機会に呼びたかったんです。
 それからもう1つはですね、彼はすごく美術の実践現場に深く関わっている人なんですけれども、そことは独特の距離を置いて思考している人だと思います。実践の現場と彼の思想というものがどのように交じり合って影響し合っているのか、例えば彼が書くものには時間とか空間とか、そういった抽象的な思索が数多く生み出されるんですけれども、かといって哲学とか社会学とかそういった理論をむやみやたらに使うわけでもなく、彼自身の経験というものがとても色濃く、例えば自分がどこに身を置いているかとか、そういったことを具体的に出発点として思考する人である、そういったことがこのグローバル化と言われる社会の現状を再考する上でとても重要なヒントを与えてくれるものだというふうに思っていて、それが今日彼を呼んでいる理由でもあります。

 昨日は学生を相手に授業をしてもらったんですけれども、郑国谷(Zheng Guogu)という中国のアーティストが作っているリャオ・ガーデンというプロジェクトを紹介していました。その中では、例えば現代美術とアジアの一地方都市との関わりであるとか、あるいはアーティストの制作の過程で現れる意図的ではないものであるとか、あるいは近代以降の美術と伝統や宗教の関係、伝統や宗教との関係、それから作品を体験する私たちの時間あるいは身体のあり方、そういった問題と関係するような話をしてくれました。これがおそらくですね、日本でアートの活動をしている私たちにとっても作品や展示を通じて考えているようなことを結び付けて考えられるような、例えば地域コミュニティと関わるアートの実践であるとか、近代美術をめぐる色々な問題であるとか、工芸や民藝などにおける個人主義とか偶発性とか、それから時代や精神といったものを表象すること、あるいはその限界、、そういうレクチャーをしてくれました。
 今日の話もおそらく、今の現代美術のシーンの中に詳しく分け入って美術とか美学に関する理論的な動向を説明するだけではない、ちょっと違う内容になるんじゃないかなというふうに思っています。レクチャーにくる方の多くが、そういったものを手っ取り早く知りたいとか、そういうふうに思われている部分もあるかもしれませんが、そういうことより、おそらくむしろ彼の具体的な経験を通して今の現代美術を批評的に見る視点を提供してくれるような、そういう話をしてくれるんじゃないかなというふうに思っています。というようなことを一応前フリとしてお伝えしておいて、だいたい5時まで時間がありますので、このあとフー・ファンさんに講演をしてもらって、後半では会場の皆さんからもコメントであるとか質問であるとかを受ける時間を作りたいと思っております。それから通訳はいつもお世話になっておりますけど、田村かのこさんに今日もお願いしていますのでどうぞよろしくお願いいたします。じゃあフー・ファンさんよろしくお願いします。

フー・ファン:

 皆様こんにちは、まずこの場に呼んでくださった住友先生と東京藝術大学のチームの皆さんに感謝の意を表したいと思います。そして今回、今日お集りいただいた皆さん、私も上野の駅からここの藝大に来るまでに上野公園を通ってきましたが、様々なイベントが催されていて、そういうところを通ってくるときも、そういった文化的に生きるということはどういうことかということ考えながら通るわけなんですけれども、そんな中、ここに集まってくれた皆さんに感謝したいと思います。
 本日は色々なことをお話ししたいと思って、それがなんとか皆さんと共有できる場を作れればというふうに思っているんですが、様々な文脈で物事を考えていまして、それを少しずつお話することによって皆さんとこの複雑でオーガニックな、有機的な対話というものを創りだしていければと思います。
 私の話すことというのは、例えばアーティストですとか建築家、もしくは農業に携わる方々、そういった色々な方々との対話により成り立っていますので、そういった方々との対話を通じてどういうようなことを考えているかということをお話ししつつ、先ほど話にあったミラード・ガーデンという作品についてもお話していきたいと思います。それをどのようにお話だけではなくて実践の場で対話を通じてやっているかということを紹介できればと思います 。

 そして今日、私はこのように英語でお話しをするわけなんですけれども、もちろん私は英語が母語ではありませんので、まずそこをご了承いただきたいんですけれども、ではなぜ私たちはこういう場において英語を使うのか。ここにいる皆さんのほとんどが英語を母語にしていないと思いますが、そういった違う文脈を持つ我々が集まって何かを話そうとするときに、もしかしたら英語を使うことによってとても小さなニュアンスですとかそういったものがこぼれ落ちてしまうかもしれないんですけれども、それでもその違う文脈を超えてお話を共有するためにトライしてみる価値があると思いますので、英語でお話したいと思います。 

 何日か前に人と話していたときに、人工知能の話になりました。いわゆるAIなんですけれども、その人工知能と人間が今後どのように共存していくかという話をその人としていましたら、その人が言うには、いま人工知能の最先端の事業で働いている人にとっては今の私たちが普通に送っている生活というのは本当に古代の人の生活のように見えると、もうすでに研究所では人工知能と共にある暮らしというのはとても進化していて、今の私たちがあと50年の内には、すべてが変わるような経験をするということを言っていました。そして私たちが今持っているハードウェアのようなものは全て別のものに変わり、労働に対してではなく時間に対してお金が払われるような時代がやってくるということなんですけれども、そこで私が面白いと感じているのは、今この時代に生きる私たちというのは改めてそういう時代、私たち自身が進化しているのだということを体を持って体験するような時代に生きているということだと思います。つまり、そういった私たちの持っている技術が私の力となって、私たち自身を進化させるために後押しされているんだということを体を通して感じているような、そういう時代になっているということ、そこで私たちはその状況を加味してどのように生きていけばいいのかということを考える状況になっている、そのことにとても興味を持っています。 

 このミラード・ガーデンについてお話する前に私がいまどのように感じているかということをお話しておきたいんですけれども、ミラード・ガーデンは建物としては完成されていますが、私が常に興味を持っているのはワーク・イン・プログレスの製作過程で、どのように私が参加をすることによってそこからインスピレーションを得て、そこで私の立場から見たもの、私の立場を超えて起こったものということが、どのように今後私をどこへ連れていってくれるのかということです。ですので、そこには結論のようなものは全くなく、今でもそのプロセスは続いていると感じているので、この私が経験してきていることが、これからどのように繋がっていくのかということを、まだ制作の途中の段階としてお話したいと思います。 

 最初にお見せした写真は、私たちが制作途中に作成していたこのミラード・ガーデンという建築の模型なんですけれども、そこでこの建築を一緒に作ってくれたのは藤本壮介さんという建築家で、藤本壮介さんと彼のアーキテクトチームが一緒に作ってくれましたが、そこでこういった模型を作って、あれこれ言いながら展開している時の模型です。そして彼はこのミラード・ガーデンが建てられる近所の村ですとか、その周りの環境、自然というものからインスピレーションを得て、その周りの環境に馴染むような形で、どうしたらここに何かを出現させられるかということを考えてつくっていますので、そのような形になりました。いまお見せしているのが実際のそのエリアの様子なんですけれども、模型でもご覧いただいた通り、何かその、この周りにある村と同じように、このミラード・ガーデンの中にも小さな村のまとまりのようなものがいくつか点在している構造になっています。 
このままお話しする前に1回、ビデオお見せしたいと思っています。これで今ミラードガーデンで毎日どのようなことが行われているかをご覧頂けると思います。 

 いまこのビデオでお見せしているのは、私たちがスタディプログラムと呼んでいる若い人向けの参加型のプログラムなんですが、学生ですとか若い方に応募してもらって、一年の期間で何回か集まって活動します。その活動というのは彼らが自由に選べるのですけれども、例えばこういうように料理をする機会を設けたりですとか、展覧会を作ることに携わったり、様々なことに携わってもらいます。この日は近くに生えている木からそういう野菜ですとか、そんなものが取れたということで、それを使って料理をしようということで集まった1日の記録です。 

 この料理をするというのは、私は日常にありふれた動作をみんなでやるという意味で始めたんですけれども、実はこの参加している若い人たちの中ではこういったちゃんとした料理というものをしたことがない人もいて、ご覧いただいてるような包丁の使い方がおかしかったりですとか、なんとも危なっかしい感じで、料理のやり方としては全然洗練されていないんですけれども、ただ私はこういう行為にも美しさを感じていて、というのもこういったことをやることによってそういった料理をしたこともしたこともない人もここに集まってこの経験を共有する機会に可能性を感じています。

こういったところに人々が集まってきてひとつの空間を作るということだと思いますが、それは同時にこの空間に命を与えるということにもなると考えています。つまりそれは建築的な意味でもそうですし、こういった空間において人が集まることによって、そこで何か息づく命のようなものがある、そこをどう考えていくか、そこをどう生まれさせていくかということに興味があります。

 ここからアバンダンド・ガーデン(捨てられた庭)というテーマについて話したいんですけれども、例えばこういう今は写真でお見せしているような場所に立ち入るとき、私もこの場所に初めて入ったときにはここの荒々しさですとか、なにかとても野性的なものを感じて圧倒されそうになったんですけれども、そこで同時に起こっている事としては、これを完全なる野生な空間ではなく、人々が作った人工物が長年放置されて放棄された状態が色濃く残っているということです。その様子を見ていると、どこか現代の遺跡を見ているような趣があるというふうに感じたんですけれども、実は世界中にこういうような現代のモノなんだけれども放置されたがゆえに荒廃してしまって遺跡のようになっている場所というのはたくさんあると思います。こういう場所を見るときに私が考えるのは、ではこういったところに起こっている腐敗の要素と、そこに起こる生の要素、活力の要素というものはどういう関係になっているんだろうかということです。またこうした人々が作る人工物、人工の建物というようなものは、じゃあ全部が最終的にはこのような腐敗した、荒廃したものになってしまうのかどうか、そういったことを考えます。

 こういう場所に出会いますと何かいつも感じているエネルギーと別のエネルギーを感じるんですけれども、それというのは、そこに感じる時間から来ていると思います。つまりそこに放置されたことによって蓄積された時間からある種のエネルギーを感じ取るわけなんですが、同時に私が考えたいのは、この場所をじゃあ例えば未来から見たときに、私たちが今ここにいて、ここでおこなっている行いというものを未来から見たときに、それはどう見えるのだろうかということです。この場所がどう継続して、どういう風に、例えば意図しないものも含めて変化が起こってそこに現れてくるのかということを考えることによって、過去の時間だけではないあらゆる時間の側面について考えることになると思います。こういった放置された場所というのは、最初の、例えばここを作った人が持っていた意図と言うものを超えて存在しているわけなんですけれども、同時にある種の真実を教えてくれるような場所でもあると思います。それで私はこの最初の話というのを放置された庭というふうにしたのですが、そこで出会うエネルギーですとか、そこに人々が感じるものというのが、どこに向かっていくかということに興味があります。

 この今お見せしている場所に出会ったのは2011年のことですので、ちょうど日本では東日本大震災に見舞われ、私もこの3.11の事件については頭を殴られたような気持ちで過ごしていたところなんですけれども、この2011年にこの場所に出会あった後に、藤本壮介さんとも様々な建築の可能性について議論していました。そして、藤本さんとはもともと長い友人なので議論を続けていたわけなんですが、そこにもうひとつ偶然が重なって、藤本さんはその次のヴェネチア・ビエンナーレの国際建築展に参加することになりました。その時の建築展というのはコミッショナーが伊東豊雄さんで、彼が掲げたテーマというものは「ここに建築は可能か - みんなの家」というものでした。こういった様々なことが並行して起こったために、私もその様々な問いに対して一緒に考えていくことになったわけなんですが、まず私たちが藤本さんも含めて議論していたのは、人が住む空間、日常の生活を含む人の住む空間というものはどのような機能を持ってこれから発展するんだろうか、どういったことでこれからも続いていけるだろうか、ということがひとつと、そこから派生して、では生活するということの意味はなんだろうか、というようなことを話し合っていたと思います。そしてこのビエンナーレに際しても、伊東さんはこのプロジェクトに対してとても重要で根本的な問いをプロジェクトを通じて投げかけていきました。それというのは、例えば、建築は今でも必要か、建築にできることはあるか、もしくは建築はもはや可能なのか、といったような問いです。

 このプロジェクトに関して藤本さんは様々なテキストを残しているんですけれども、その中でも、例えばカタログでもこのプロジェクトをコレクティブとして3人の建築家が加わってましたので、そういったグループとしてその建築を考えるということの難しさですとか、そこに生まれた混乱ということを説明しています。ただ彼が1番難しかったと話しているのは、そのグループでやる事の困難さではなく、いかにこのプロジェクトの根幹に据えられたコンセプトから離れて物事を考えるかということです。そのコンセプトに捉えられたような感覚になってしまった藤本さんは被災地をもう1度再訪して、そこの被災地にまだ残っている人たちと会話をしたり、その場所をもう1度訪れてじっくり見るということをしたようなんですけれども、そこで初めて藤本さんは、実は彼らがプロジェクトを通じて探ろうとしていた建築の方法論のようなものというのは、そのコミュニティの中に実際にそこに住む人々の中に既にもう息づいていた、すでに存在していたということを確認したということを言っています。つまり机上で何かコンセプトを抽象的に詰めるということよりも、実際の現実に向き合って、そこにあるものを見つめ直すことによって、すでにそこに存在しているものを自覚していく、見つけ出していくということが建築のプロセスにおいて非常に重要だと思った、ということを藤本さんが語っています。

 そして同じ「みんなの家」のプロジェクトについて藤本さんと2013年にお話して、彼はそのときにもとても重要な経験について語ってくれたんですけれども、3人の建築家が関わっていたこのプロジェクトに対して、伊東さんはコミッショナーとして個性の消失ということを提案したそうなんです。この個性を消失するということを聞いたときに、藤本さん含めこの建築家たちは最初はとても違和感を覚えて、個性が消失してしまったらどのように3人でコラボレーションしていけばいいのか、どのようにそこから建設的なものを生み出せばいいのかということの理解に苦しんだそうなんですが、そのあと彼は藤本さんなりにその解釈を考えまして、その後仰っていたのが、この個性が消失するというのは自分の人格が消されているということではない、自分の存在というものはそれがたとえ絶対的に存在しているとしても、その個性というものは他者との関係性によって構築されるものなので、そういった意味では個性というものは他人がいないと存在しないもの、そこで他人によって定義づけられるものとしてある、というふうに解釈するように至ったといっています。
 この考え方というのは彼の空間の作り方にも応用して考えられると思うんですけれども、例えばこのミラード・ガーデンの作品についても、最初模型で考えていたことが現実にやろうとしていくわけなんですが、そのプロセスの中でも例えば様々なアイデアが最初浮かんでいたものが、そのプロセスの過程の中でどんどんアイデアとアイデアがくっついたり離れたりしているような感覚になるときに、それが元々誰のアイデアだったのか見分けがつかないような状態になります。でもそこにはもしかしたらもう、そのアイデアが誰のものだったかとか、どこからどこまでがどんなアイデアだったかとか、そういったことを分ける必要はなく、そこで一番大事なのはプロセスの中でどういうことが起こって、そこにどういう意味があったのか、私たちがプロセスの中にどういう意味があったのか、ということを考えることではないかというふうに話していました。

 ですので、この彼らが直面した震災後にそういった建物を立て直していくという問題については、日常生活というものと、永遠に存在するものというもののはかない関係ということがより強固に現れてきたと理解しています。またそこから考えられる事としては、こういったいつかは消えてしまう一時的な束の間の家という考え方は、例えばそれが物理的になくなってしまうかどうかという物理的な有限の問題ではなく、時間においてこの一時性ということについて考えていくべきだと思います。というのもその建築というもの、もしくは私たちの生活そのものは時間と共にあるわけなので、その時間とどう向き合っていくか、その時間が常にこの一時的なものであるということをはらんでいるということと、どういうふうに付き合っていくかということになると思います。

 そしてこういった考え方の線上に、田中功起さんの作品についてもお話したいと思います。今日も来てくださっているんですが、田中功起さんも時を同じくして、同じ頃にこういったグループで人々が集まって何かを作る、何かをするということについて考えていたと思います。このことを何かを試みる、何かタスクを設けてそれを試みた上でそれを観察する、というプロセスをたどっていたわけなんですけれども、特によく私が思い出すのは2012年に彼と旅をした時のことで、その時に彼は陶芸家のいろんな陶芸家の人と出会って、その陶芸家を集めて1つの作品を作るということをやってみたいというふうにおっしゃって、その旅が始まったわけです。その旅の始まりというのは私たち全員何が起こるか全くわからなかったので新しい冒険に出るようなつもりでいたんですけれども、その旅の過程で出会った人々ですとか、その時間の中で過ごされた経験そのものが彼にも私にとっても、ある1つの大きな意味をもって経験として現れてきました。そしてこの体験の中で色々な人々の考えに触れるわけですけれども、様々な人が持っている様々な考えというものが一人のアーティストの考えとどのように交わって、そしてそこに経験が加わって、アーティストがその後、また作品の事を考え進めるときにその経験を通して考えるようなプロセスになっていくということを目の当たりにしました。

 ですのでこの旅というのはフィールドトリップでもなく、また陶芸の専門的な研究するための旅でもなかったわけなんですけれども、この旅のときに田中さんは1年ということをおっしゃっていて、そういったひらめきのような思いつきのようなところから一期一会の出会いを探す旅であったというふうに考えています。それはその陶芸家の皆さんそれぞれと出会う旅でもあるし、そういった思いつきというものを探すような旅でもありました。 

 いまここでお見せしている写真にはティッシュペーパーに北野武・山口組と書いてあるんですけども、これはその旅の過程で日本から来た田中功起というアーティストに対してそこで起こったある一種の反応なんですが、そこでおそらく日本と聞いて反射的に北野武と書いてくれたんだと思いますが、そういう日常の中でこういった旅をすることによって、その日常が淡々と続いていくわけではなく、それがうねりを持った状態で続いていく中で、私たちがそこから学び取るというプロセスの旅だったように感じています。つまりそういった日常の中で目には見えない繋がり、それは歴史的にも文化的にもある繋がりというものを、私も田中さんも発見していくプロセスだったと思います。それはそういった何かを探し求める旅の中に自ずと存在していて、それを探しているわけなんですけれども、つまり私たちはどこから来たのかとか、あなたは誰なのかという問いと一緒に見つめていくものなんですが、それと同時に考えていたのは、個性というものに対してで、この近代化の流れの中で陶芸というものは色々価値が見直されたりしてきていますが、特に柳宗悦さんが民藝運動というものを始めたときに、それまで陶芸というものはアノニマスな、匿名な工芸の技術だったわけなんですけれども、柳さんの意思とは反対に陶芸家というものが作家個人として注目されるようになって、近代化の流れとともに集団から個人へとその意識が変わるということがありました。柳さんは個人の大切さではなく、元々のこういった工芸ですとか、文化が持っている匿名のものの価値について語っていたわけです。

 というわけでこの旅においてはそれぞれの陶芸家によって様々な話をした中で、集団で作っていたものから個人のものにシフトした、そのことについても様々な陶芸家と話しました。それぞれもちろん違う考えを持っているんですけれども、例えば私たちは彼らに、では陶芸は再び名前を持たない集団活動、集団の行為になることができるかどうか、という問いを投げかけました。ある日、北京の郊外にあります山の中にスタジオと陶芸の炉を構えている方のところにお邪魔して同じようにこの質問を投げかけたところ、つまりこういった、今の個人的な作家的な考え方をやめて5人で1つの陶芸品を作ることはできるかどうかっていうふうに投げかけたところ、その方は、そんなこともちろん簡単だよ、というふうに言ってくれました。ただそれは私たちが自分のことを忘れるだけだから、というふうにおっしゃったんですね。この話を聞いたときに私たちの目の前にあるたくさんの可能性が開いたように感じたわけなんですけれども、この可能性というのは同時に私たちがこのように実験的に様々なことをやることによって、そこに見えていない問いについても見えるようにしたり、もしくはその見えてない問いについて向き合うような可能性を広げてくれるものだというふうに思いました。

 こういったグループで何かを作るということを色々試みるわけなんですけれども、それはそう言った方々がアーティストの田中さんの提案により集まった方々が彼らの日頃の活動や行為というものを少し超えた何かを成し遂げようとして集まるということになります。それは例えば9人の美容師がひとりの人の髪をカットしようとするですとか、5人のピアニストが同じ1台のピアノを一緒に弾こうとする、もしくは5人の詩人が1つの詩の作品を書こうとする、ということなんですけれども、そういったやり方というのはアーティストがその結果をコントロールできるわけではないので、アーティストがやれることというのは、そばに立って見守る、その目の前で起こっていることがどこに行きつくかを見守ることなので、実はアーティストは何も作り出していないというふうに言えると思います。ただ彼はそれが起こるその瞬間を生み出すその状況を作り出していると。
 そこで興味深かったのは、アーティストだけがそういう状況に注視しているのではなく、そこにいるその他の現場にいる撮影のクルーですとか、その場で働いてくれている全ての人がその場で起こっていることに焦点を当てて、例えば美容師だとか詩人だとか、その中心にいる彼らが何をしているかということのみに集中して、まるで自分自身というのを忘れたような状態でいたということです。それは私が見ていたところ、それはその自分という存在からある種遠ざかるようにしてもっと大きな、広い風景もしくは状況の一部にみんながなっているように感じました。そこには何とも言えない静寂感のようなものが空気として漂っていて、もちろんそれぞれの人はそれぞれ活動したり発言したりするんですけれども、自分自身のために何かを言ったりアピールしたりということは起こらない状態になっています。代わりに彼らは絶えず自分たちの持っているエネルギーというものをお互いに分かち合ったり、お互いに承認し合うような関係を作り出していました。

 こういった瞬間を見ていると、例えば柳宗悦も民藝運動の中で語ろうとしていたことというのは、まさにこういう瞬間のことを待ちわびていたのかな、というふうに考えます。そこには個性を超えた何かを探すという姿勢があって、それは文字通りの意味ではないかもしれませんが、そういったことを田中さんも藤本さんも考えていると思いますし、同時にそこにはそれだけでなくあらゆる問いを繰り返しながらそこに向き合っていくということがあります。つまり、どのようにすれば人々はそういった集団として、グループの集まりとして何かを生み出すことができるかといったような自分自身に対する問いです。 

 次に別の旅の話をしたいんですけれども、もしかしたら旅の話をしすぎているかもしれませんが、お話ししたようにこれが私の考えを共有する方法ですのでお付き合いいただければと思います。次に私が訪れた場所というのはオーストリアです。2012年にオーストリアのザルツブルグのそばにあるルンダオ山脈というところにある農地を訪れる機会がありました。そこで活動している農夫の方がいて、セップ・ホルツァーさんという方なんですけれども、彼は19歳の時に両親から農場を引き継ぎまして自然農業という方法で自然を最大限活かしながら農業をやるということを始めたんですが、それは70年代のヨーロッパではパーマカルチャーという言葉ができて、日本で言うと自然農業と言われますが、そういったなるべく化学肥料ですとかを使わずにオーガニックな農業をするというものなんですけれども、彼はそういった専門用語ができていることも知らずに自分の意思においてそういうこと初めて、その後、彼があまりにもその活動が素晴らしいのでその他の方たちからの、彼自身が学習の対象になるというような現象が起こったんですけれども、彼はなぜそういったことを始めたかというと、オーガニックな農業に興味があったとかそういうことではなく、彼自身の危機感によるものからだったと理解しています。つまり自分が受け取った農場をいかに自然な形で山を管理しながら、しかもそこにある資源を無駄にせず、致命的なダメージを与えず、いかに管理していけるか、その危機感から始めたというふうに聞いています。 

 いまこの農地の写真をお見せしていますけれども、本当にどこにでもあるような変わり映えのない山の写真に見えると思います。ただこれは彼によって完全に管理されていまして、ただその管理の方法というものがユニークで、彼はその土地をすべて耕してどこにどんな植物を植えるかといったことは全て把握しているんですけれども、全ての植物を自分の手でケアする代わりにその植物たちが自分たちで自生できるように環境を整えました。この広大な土地で45ヘクタールもある巨大な山を、そういった植物の自生の力に任せて運営しているので、彼と彼の奥さんだけで管理していると聞いています。そしてもう1つ面白いのが、例えば豚ですとか様々な動物をこの山で従業員として飼って、その動物たちにもこの山の管理を分担してもらっているという状況です。

 彼のやろうとしていることというのは、例えば老子が口にしていた何もしない、無為であること、ということに繋がってくると思うんですけれども、いかに人の意図、人の手を離れたもの、人の手というものが、最小限の状態になったものということが、自然の中でそこから展開して自分で力を得ていくかというところに繋がってくると思います。いまお見せしている写真は私がこの農場を散策している中で出逢った池なんですけれども、これも彼が人工的に作ったもので、彼は山全体のこの水の循環のシステムもすべてデザインして作っているんですが、ここに夕方の日が落ちる頃に立ち寄りまして、とても感動しました。というのも彼の言う、彼らもよく言っているのは、こういった機能を持った構造というものはそれだけで美しいということです。彼自身というのはデザインにもアートにも興味がない人ですから、自分の作るものをよく見せようとか美しく見せようということには興味がないと思うんですけれども、彼のつくっているその構造ですとか機能そのものが美しさを纏うということはあると思います。
 そしてこの人の手をなるべく離れた機能というのが自分たちでその後のサイクルを自分たちで運営していく様というものが、この山全体の美しさに繋がっているんですが、例えばここでもその自然の力を最大限に借りるために彼がやった管理の方法というのは、まず池の中に岩ですとか腐った根っこのようなものがたくさん置いてあるんですけれども、それは彼がわざと置いたもので、例えば岩というのは日中陽の光を浴びて熱を持った後に、夜になるとその岩にこもった熱が水に発散されて、保温効果があるんですね。もしくはこの腐った根っこというのは、小さい魚がまだ大きくなる前の魚がもっと大きな魚に狙われないようなシェルターの役目を果たします。そういったいうふうに彼はこの農場をデザインしています。 

 例えば先ほどお見せしたビデオの中で若い人が野菜の切り方もわからないような状況だったと思うんですけれども、それと私もあまり変わらない状況で、というのも私たちは農業というものが何であるかということをほとんど知らない、わかっていなかったんだということをこの旅で学びました。この旅はそういった自分たちが、自分が全く分かっていない分野ですとか、気付きもしなかった分野のことを気付かせてくれて、学ぶ機会になるんですけれども、それは同時に、例えばここでは農業のことを学びにいったということだけが重要なのではなくなくて、人々が日常の行為の中でどういったプロセスを踏んで、どういった活動しているのかということを、例えばミラード・ガーデンのような作品に反映させたいと思っていたからです。
 なので、この農業の話をすると、例えば田中功起さんや藤本さんの活動と大きなジャンプやギャップがあるように感じるかもしれないですが、私にとってはこれはあらゆる空間の使いかたの可能性を考えていくということで共通してまして、つまり人々が生きていく中でする行為というものがどういった可能性があるかということを再考していくというのは、アートの実戦でも同じことだと思います。そしてアートの実践をするということは、アートの、例えば現代アートの文脈だけでものを考えるということではなく、人が生活をしていく上でどのように生きていくのか、どのようにそこでサバイブしていくのか、ということを考えるということに繋がると思いますので、私にとってはこういった旅の経験すべてが、アートにおいても私の生活活動においても重要な意味を持っています。 

 もうひとつジャンプをしたいと思うんですけれども、いまこの農業の話から中国式庭園の話に話を移したいと思います。この中国式の庭園というのは、もちろん自身の経験に基づいた考察でもありますが、こういったホルツァーさんが作っている農地のように、もしくはこの中国式の庭園のように、人の手で構築された自然というものがどのような機能を持っているかという興味と、それが中国の庭に関しては深く生活に根ざしたものであるということが重要な点だと思っています。つまりそういった中国にあるそういった庭園というのは、それぞれの人々が身近に自分の生活の中に持っているスペースなんですけれども、そこに庭園の持っている機能としては、あらゆる人が抱えている自分たちの日常の社会的責任ですとか社会的役割というものからいったん逃れて、別の次元で時間や空間のことを考えられるような場所として機能していると思います。ですので、風景として美しくある庭園というだけでなく、そういった社会的なものから逃れるための別の場所を提供する機能持ってるわけなんですけれども、そこにはその神秘的な存在としての美しさということだけでなく、その機能が携わっているというところが重要だと思っています。 

 このクルメテルホーフというのがオーストリアにありますホルツァーさんが作っている農地の名前なんですけれども、そのクルメテルホーフと私がいまお話した中国式庭園の関係について考えていることをお伝えしたいと思います。これは私自身も継続して考えていることなので、皆さんにも意見を伺いたいところではあるんですが、例えばこのクルメテルホーフにあるような水の、私が仮にいま水の庭園というふうに呼んでいますけれども、ここにある美しさというのは機能美にありまして、その実践から立ち上がってくる美しさということだと思います。その美しさを感じる要素としては、そこには人の活動があり、それが自然と合わさって長い時間をかけてそこに掛けられたエネルギーというものが、何か場を形作っていったということにあると思います。それは例えば人の手で何か彫刻を作り出していくという行為ではなく、時間というものがひとつの形を作ったというところにその美しさが宿っていると思っていて、そこには今は見えないけれども人の存在というのも後ろに隠れているということだと思います。
 こういった農業のあり方というのは古いもともとやっていた農業のあり方に回帰していくということではなく、新しい次元を切り開いていくということに繋がっていると思っていて、それはある種実存主義的な哲学的な考えにも通ずるものだと思っています。 それは実践の場においてそういったことが現れ出てきたということなんですけれども、そこには時間と空間の制約というものがあり、そこでまた中国式庭園の外見について考えてみると、実はこの中国式庭園も物理的な外見としてはこのクルメテルホーフの農地よりも明らかに人工の庭のような外見を持っていますけれども、そこで行われていることというのは、先ほどお話した例えば社会的な役割ですとか、責任というものからひとつシフトして別の次元に自分たちを連れていってくれるということだと思うので、そこで行われていることというのはただその庭が、もしくは農地が耕されているということだけでなく、そこに訪れる人がその自然から自分が耕されているような経験を得られるということにあると思います。そこにはある種のとても豊富な栄養のような、滋養のようなものが眠っていて、それがこれまでのこの、いまこの時までに関わってきたあらゆる人々のプロセスの中で関わってきたものが形に現れたものが、この現代において今も存在しているということだと思います 

 この中国式の庭園、もしくは日本の庭園も今はそうだと思うんですけれども、かなり観光地化されて使われてきてしまっているので、私たちが通常、庭園を訪れる機会というのは、観光客としてどこかの土地に行った時に庭園を訪れるということだと思います。ただ中国の庭園というのは元々は家族がひとつの庭園というのを共有して使っていましたので、ひとつの家族に対してとても親密な関係で庭園というものがありました。そこであらゆる日常の家族のイベントですとか、それぞれの活動というものがあらゆる形で行われていて、それが庭の形を決めていったというような存在の仕方をしていました。ただそれが、そういった人々の生活によって形が決められていくという性格上、例えば世代交代が家族の中で起こると、その新しい世代の家族が庭をあまり手入れしないというような状況は沢山起こって、そこで庭園がどんどん廃れてしまうという状況が起こるんですけれども、これもひとつ大事な要素で、というのも庭を管理していくこと、庭を綺麗にメンテナンスしていくことは、中国の庭園にとっては、もしくは中国人にとっては、社会的義務ではないということが重要だと思います。つまり庭を手入れしたい、もしくはそれを綺麗にして繋いでいきたいという思いによって次の世代にも繋がるものであって、それはその人の持っている、その人が内側に持っている自分の生命活動の一部としてその活動でどういう風に考えているかとか、そういった考えが庭にも反映されていくということです。
 なので、今となってはこういった庭の構成やそこに息づく命というものがどのくらい人とか、そこにあるコミュニティと親密な関係を持っているかということを目の当たりにするのは、視覚で判断するのは難しくなってしまったんですけれども、同時にそういった庭というのは社会との繋がり、社会的なそういうあらゆる出来事との繋がりの場所でもありますので、そういった意味を今でも持っていると思います。この自分たちの通常持っている社会的責任や役割からある意味シフトするような状態でオルタナティブな場所として機能するという庭の重要なところというのは、それが自分の生活の一部になっていること、つまりそれは社会的な規範ですとかルールといったものから離れてその人の自分の生活の中で庭が生まれてくるということが大事なんだと思います。 

 こうした耕された自然もしくは社会的な自然ということは、私たちが社会的なスキルとして、もしくはひとりの人間として持つべき必要性について様々なことを教えてくれると思うんですけれども、もうちょっと講義の時間もありませんので最後にこのお話してきたこのようなことが、いかにこれから例えばアートスペース、アートが起こる場というものを考えていくときに、その原型として、アーキタイプとして対応できるか、私たちがそれを応用して使っていけるかということについてお話していきたいと思います。つまりこの私が今お話ししてきたような空間の捉え方というのは、アートをおこなう場についても応用できると思います。
 例えばそれをエネルギーの流れですとか、成長の過程というもの、そのプロセスというものに焦点を当てた場として考えること、もしくは毎日の滋養ですとか修練ということに焦点を当てて場を作ること、もしくは他者に思いを馳せたりですとか、我々の感性を働かせるために必要な充分なスペースを取るために用意する場所として考えること、もしくは自分たちを取り巻く環境から一旦離れて、別の次元でこの時空間について様々な角度から見直す場所として捉えること、こういった考え方をアートスペースに応用していくと様々な考え方ができるので、通常考えられているアートが起こる場とはどういうものかという境界から外に出て何か考えられるのではないかというふうに考えています。それは私たちの感性も自然と同じように耕していくことで、そこで私たちの芸術と人生というものがどのような繋がりを持ち得るのかということを別の視点から考えていきたいと思っているということです。 

 では最後に、私はまだこういった今お話ししたことの、そういった可能性について探索しているプロセスの渦中にあるのでこれからも皆さんと議論を重ねていきたいと思うんですが、最後に去年ミラード・ガーデンで行われたヤン・ヴォーの展覧会の様子を見られるビデオがありますので、それをある種、私達のこの時空間について考えていくきっかけとして終わりたいと思っています。そしてその後、会場にマイクを渡したいと思います。 みなさん長い間お付き合い頂いてありがとうございました。
 

 

〈質疑応答〉

 

住友:

 ええと、5時過ぎちゃいましたね、ここの場所は大丈夫なんですかね?
もうもしかしたら時間で出なきゃいけない人もいるかもしれませんけど、ちょっとだけでも限られた数だけで質問とコメントがあればっていうふうにせざる得ないかなと思うんですけれども、僕も3つぐらい聞いてみたいコメントがあるんだけど、どうしても聞きたいこと、コメントが会場の方からまず手挙げてもらってもいいですかね

 

質問者1:

 質問が2つありまして、1つは最初にお話しいただいたプロジェクトの詳細をもう少しお聞かせください。どういった期間、どういった目的で何をしたプロジェクトなのか知りたいと思います。もう1つの質問は、個性を消失させる、もしくは集団に回帰していくというようなお話がありましたが、なぜ個性を諦めて集団に戻らなければならないのかお伺いしたいです。私にとっては集団という話をされるとユートピア思想のようなあの集団でコントロールをするためにグループを作るということにしか聞こえないので、フー・ファンさんもご自身が例えばそういった集団が関わり方として、例えばリーダーとしてだけでなく参加者として関わったことがあるのかどうかなどについてお聞きしたいです。 

 

 フー・ファン:

 様々な旅を繋がりの中でお話ししたんですけれども、それは様々な問いをはらんでいるので、例えば生活の中でもそれがどういう風に実践されていくかですとか、私たちがそれをどういうふうに対応させて反映させて継続していくかということをはらんでいるものなので、その中でこういったことをお話しようとするときに、あらゆる文脈の中であらゆる欲望ですとか、あらゆる目的が氾濫した状態で1つのことを話すのはとても難しいです。ひとつ強調しておきたいのは、この個人と集団ということについての考え方、もしくは問いの立て方というのは、本当に様々な角度から問いを立てられるということです。ですので私が今日立てたというのも1つの角度からの提案でしかないということがひとつと、あと例えばみんなの家のプロジェクトでは、伊東豊雄さんが三人の建築家に参加者となってグループで何かを作るようにコミッションしたわけなんですけれども、そこでも例えばグループの中で何が起こるかというと、議論をしてその中でも一時的にしろ共通見解のようなものを立ち上げようとする、そういったことがおこなわれると思います。
 それが1つの集団のあり方と言えると思うんですが、また中国の庭園に関してもお話しておきたいのは、これはもともと田園というのは個人に属するものであって公共に属するものではないということです。公共の公園というものはいま数多く存在しますが、個人に属する公園というものが社会的な役割をもって社会の中に存在しているということが重要なのであって、元々は個人に属していた、ただそこからまた公共のスペースとはなにかという問題が立ち上がってきて、そこでもこの公共のスペースとは何かという答えを導くためには個人がまず基点としてあって、その個人がそれぞれのイニシアチブをとったうえでそこから私たちの共通の見解というものを発展させていくということになると思います。

住友:
 ありがとうございます。私も今の質問に関しては、例えば集団主義というのもあるし、あともう1つは廃墟の写真というのが最初に出てきましたよね、何かが滅びていく、衰退していくようなもののエネルギーっていう話をしていたんですけれども、中国にも西洋にもそういう廃墟趣味であるとか、それからもう1つ集団主義というものがロマン主義的な視点でやっぱり見られてくるということを、フー・ファンがどういうふうに考えるかっていうのを聞きたいなと思ったんだけども、一方で今日の話の中では老子の無作為っていう概念を持ち出すことによって、必ずしも例えば個人を超えてしまうもの、個人を大きく超えるものであるとか、あるいは廃墟趣味の場合には人間を超える大きな自然というものにロマン主義的な目を向けるわけですけれども、そういった自分たちを超える大きな存在というものとは別の方法が老子の無作為っていう考え方を持ち込むことによって、そこまでロマン主義的なものに持ってかれない道筋を彼は考えているんじゃないかなというふうにも思いました。 

フー・ファン:
 私が関心を持っていることというのは対話にあると思います。つまりアートの世界でもアーティストとの対話というものの中で考えることなんですけれども、私たちが大事にしなければならないのは、もちろん1人1人のアーティストというのは個人の自分たちのスペース、自分の空間というものを元から持っている、ただしその個人個人が所有している空間というものは、公共の場で、パブリックと共有できる可能性をいつも常に持っているということです。つまりこの個人のスペース、私がこの個人のスペースというときには誰ともシェアできないプライベートなものという意味ではなく、それぞれが持っているんだけれども、それを公共の場でもシェアできる方法があるかもしれない、そこを対話を通して探っていきたいという提案です。
 これは世界をどう知覚するかということにも関わってくると思うんですけれども、おそらく我々がそれぞれに世界をどのように知覚しているかということもシェアできると私は考えていますが、それは一瞬のうちに成し遂げられることではなく、時間をかけてやっていくものだろうと思っているということはあります。またそういった過去に起こった、そういった私たちがやってきたことというのは、ある種の私たちの知恵としてそこから学び取っていく姿勢も大事だと思っていまして、いまこの時代においてはたとえ過去に断絶されていたかもしれない歴史や昔の人の知恵、もしくは私たちが学んだことというものに、アクセスももう1度できるような状態になっていると思うので、そこにもアクセスして対話を育んでいく必要があると思います 。
 ミラード・ガーデンは5年前に建てたプロジェクトスペースですので、実際に皆さんも訪れていただける私の運営しているスペースということです。私が今回ここで行おうとしたことというのは、空間というものを我々はどう認識していくかということを様々な形で、ワーク・イン・プログレスのものも含めて、今製作中もしくは考えている思考の最中にあるものも含めて、対話を通じて何かアイディアを紡ぎ出していくということなので、1つ1つのプロジェクトの詳細をお話することにあまり重きを置いてなかったので、それで話が分かりにくかったら申し訳ないと思っています。 

質問者2:
 僕は非常に宗教と技術の関係性に興味を持っていますが、フー・ファンさんの作品を見ながら仏教の影響も感じました。例えば初めて見せてくださったビデオはどう見ても座禅下行、つまり出家してから最終的にやる宗教に見えました。そして柳宋悦にも触れましたが、柳宗悦が出した「美の法門」という本があって、その本の中で柳さんは民藝の根本は仏教であることを論じました。そして世界中にマインドフルネスという概念が流行っていると思う、それは何よりも仏教系の自己啓発だと言ったらいいと思いますが、フー・ファンさんはこういう仏教的な流れにどういうふうに考えているのかお伺いしたいと思います。そしてこういう仏教的な概念と位置付けられたいと思っていますか。 

フー・ファン:
 まずお伝えしたいのは、今日お話ししたプロジェクトというのは個々の独立したプロジェクトですので、どうしても私だけがやっていたものではないので、そこに共通するものとしてお答えするのはなかなか難しいというところなんですけれども、まず今日お話した私のお話の仕方ということでやりたかった事としては、様々な活動について違う角度から色々お伝えするということがあったんですけれども、私自身がこの今現在に私たちが向き合っている問いについてどう考えているかを皆さんにお伝えするというのではなくて、個人のそれぞれの関係がある中で、それに対してどのように関わりを持っていけるかという事を、オープンな形で、オープンな関係を皆さんに提示することによって様々な解釈を可能にして、そこで皆さんと一緒に考えていくということをやりたかったんだと思います。それには例えばこのお話した文脈の中で私のお話ししたものの持つ意味ということはもちろん重要なんですけれども、そこには結論というものは無いと思いますので、そういったことで私のお話しした話し方の意図というのはそういうことになります。 

住友:
 だいぶ時間もオーバーしているので、僕は答えは求めないでコメントだけちょっと最後に。特に今日は話の流れとすると、日本の建築家、アーティスト、それからオーストリアの農家、最後に中国の庭園という話をしてくれたんですけれども、最後にヤン・ヴォーの展覧会のビデオを見せてくれて、ちょっと思い出したことがあるので、それをフー・ファンに投げかけたいと思うんですけど、中国の庭園が普段の日常の社会の役割を忘れさせる場所であったりとか、あるいは自分に対する滋養であるというのは、そういう古典的なあり方としてすごくよくわかるところでもあったんですけれど、その後言っていた、もっと実は個人的なもので庭園はあって、それに手を入れる、メンテナンスをしていくことによって世代を超えて渡していくようなものなので、そこにパブリックな役割も重なり合う、つまり私的なものとパブリックなものが庭園の中にこう交じり合って、それがなんかミラード・ガーデンの風景と最後のヤン・ボーの風景とこう結びつくと、すごくよくわかる気がしたんですけれども、実はたまたまこの間ヤン・ヴォーとはイサム・ノグチの話をしていたので思い出したんですけども、イサム・ノグチは美しい庭園を見ると、私たちは自分が孤独であることに気付く、というようなこと言っていたと思うんですよね。それから自伝の中で言っていたコメントだったと思うんですけど、何か自然の中に一体化するっていうことでもなく、一人一人のその孤独であるという存在に気付くのが美しい庭園っていうものが与えてくれるものだっていうようなことを言っていたことを思い出したので、ヤン・ヴォーと庭園の繋がりからそのことを指摘しておきます。そのイサム・ノグチの言葉は、実はちょっと僕は消化しきれなくて頭に残っていた言葉でもあって、分かるような気もするけど具体的にどういう意味なんだろうと引っかかっていたんです。
 もしかしたら他にもコメントがある方がいるかもしれませんけれども、ちょっとだいぶ時間を超過しているので、申し訳ありませんけどこれで終わりにしたいと思います。フー・ファンさんどうも今日は長時間にわたりありがとうございました。 

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