ラオスにいったい「美術」があるというんですか?
文:住友文彦
(続き)
手仕事と芸術の生態系
アジアの大都市では現代美術を扱う美術館や商業ギャラリーが急増したのはほんの10年ほどのことだ。作品を発表するアーティストや、キュレーターや評論家、ギャラリストたちは、地元の芸術系大学で学んだ者もいるが、外国から来た者と積極的に交流する場所では欧米で教育を受けた者たちが多く目につく。


20世紀の大戦を挟んで広まった世界各地の脱植民地主義の思想は、知識人たちだけでなく芸術の分野でも芸術家や評論家たちに大きな影響を及ぼした。その後、作品を美学的に解釈するのにとどまらず、それを産み出した社会の構造と結び付けて分析する批評理論が1960年代から1980年代にかけてアジア諸国にも浸透し、とりわけ伝統的な芸術と近代以降の芸術の間で繰り広げられる交渉を克明に記述してきた。こうした歴史的な経緯を対立ではなく交渉として見ることで、非欧米圏における文化の混淆性を重視する見方も生まれる。そのためには共通言語(近年は英語)を駆使する技術を確保しながらも、思考や理論には固有の地域性を反映させなければならないはずだ。そうした西洋の思想や技術を学ぶことで独自の変革を経験することが近代化と呼ばれる第1段階だ。その後、産業や観光も含めた幅広いアジア間の交流がかつてないほど進展している現在は、知識人や政治主導だった民族主義が大衆へと広がりグローバル化した第2段階にある。この段階では、資本主義やメディアの影響がかつてないほど大きくなる。人の移動も一部の知識人や政治家に限定されず中産階級に広がり、宗主国だけではない国々との関係性が濃くなる。第1段階には地域の歴史が色濃く残るが、第2段階では、今のところ逆に欧米の影響が強くなる傾向あるのではないだろうか。
この二つの段階、つまり近代化とグローバル化のあいだに長い年月が挟まっている地域と、比較的短い地域とがある。ラオスは後者だ。フランスからの独立は1949年。植民地支配の間もずっと続いていた王族は1975年に社会主義政権によって実権を奪われる。ソヴィエト社会主義共和国連邦の影響力と周辺諸国との緊張によって不安定だった政治状況は近年になってだいぶ落ち着き、その結果観光客や外国企業の進出が増えている。つまり、他のアジアの国や地域とラオスが違うのは、近代化の影響を経てグローバル化の入り口、やや手前に位置していること、また、社会主義国家でありながら敬虔な仏教国である独特の政治と文化を持っていることである。


私がまず強い関心を持ったのは食と染織だ。食べ物は肉や川魚などの蛋白質のほか、豊富な野菜が調理されるが、どれも鮮度がいい。長距離輸送に頼らない新鮮な材料の調達ができるのだから当然である。パクチーなどの香草類は麺にも、ラープと呼ばれる混ぜ料理にもよく使われ、もっとも香ばしい匂いを持つ根っこを切らない店も多かった。とくに印象的だったのは、若いドクダミが生で出てきて、ラープをそれで包んで食べた時の鼻に抜ける新鮮な草の香りと歯ごたえのある繊維質と豚肉の脂が混じり合いながら喉を通っていく経験だった。自然の恵みを体に入れるのにこんなに相応しい方法はないのではないかと思えたほどだ。全般的に、国の位置関係そのままにベトナム、タイ、中国の料理が混じり合うメニューが新鮮な材料によって提供される。数度の来訪の間に移転が進んでいたのは残念だったが、市場に行くと、大量の野菜や茸、あるいは多種の昆虫や魚を目にすることができ、これまで食べたものの元の姿を確認できるのが楽しい。
染織は、中心市街地でも数件布を売る良い店を見つけることができるのでそれらを巡りながら値段を覚えていくうちに、とくにビンテージものの価値が分かってくる。ラオスの魅力は少数民族が多いことで、値札はとりあえず脇に置きつつ、それぞれの伝統的な文様による違いと自然染料や手織りの風合いが創りだす布の小宇宙に惹き込まれるのは悦楽の時間だ。それは、パターン化されたシンボルの形と配置に歴史と文化が何層にも重ねられ、それを作り出す手の複雑で丁寧な仕事の痕を眼で追いながら、人間の長い歴史に意識を重ねるような経験である。しかも、これは食も同様なのだが、実際に自分の身体で触ることで記憶の中に擦り込んでいくものである。だから異文化でありながらも、過去に喉や手が覚えている経験が呼び起され自分のなかに取り込まれていく。

この複雑な制作工程について知るために訪れたホアイホンという日本人が設立した女性の自立を支援する施設の活動にも大きな関心を持った。そこでは自然染料を使った染めの作業を体験できる。実際にかかる手間暇だけでなく、煮出しや発酵の過程を知ると自然がもたらす美しい恩恵に感動する。そうして染められた糸を織機にかけるのだが、伝統的に継承された文様を少しずつアレンジした図案をもとに、緯糸と経糸の組み合わせに置き換えた複雑なパターンは、数々の技術を生み出すことで人間の脳が自然の調和の仕組みを模倣してきた成果のようにも見える。

この施設では、眼は細かい糸の間から離さないまま隣の女性同士が会話を楽しみ、床では小さな子供が遊んでいる。周りは大きな木々に囲まれ豊かな自然を広い敷地の中に残し、人工の池と風通しのいい建物が連結し、慎ましくも伝統と現代が融合するようにデザインされた空間も居心地がいい。おそらく、新鮮な植物を食することも、オーガニックな織物を鑑賞し、染めの体験をすることは日本でもできる。しかし、洗練されない盛り付けや、少し乱雑に布が置かれ、外の空気と一緒に触れることができることにも大きな意味があった。付加価値を与えられることなく、画一的に管理されない、それらを生み出す生態系と切り離されていない場所で食と染織と出会うからである。つまり、それらは消費するものではなく、創り出すものなのだ。振り返ると、郊外にある国立芸術大学では、立派な建物で絵画や彫刻の教育に取り組んでいる。伝統絵画なども扱われているが、それらは固有の文化とは切り離され、別の規律訓練をおこなう場のように見える。では、大学が目指す進歩的な教育は無効かというとそんなことはない例も眼にした。それが今回交流をおこなった映像の教育現場だった。つまり、スマホを持つ若い世代にとって身近な道具は映像である。それを使ってどんな表現が可能なのか、を知りたい若い世代の強い関心は、伝統技術と同じように地域の現代生活を形づくる生態系の一部であるとも言える。