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「日独伊親善図画インタビュー映像制作プロジェクト~京都府綾部市綾部小学校編~」
文:田中直子

実施日:2020 年 11 月 17,18 日
助成:東京藝大「I LOVE YOU」プロジェクト


映像はこちらから↓:
https://naokotanaka.wixsite.com/1938/single-post/%E7%B6%BE%E9%83%A8%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88

 1938年に日本、ドイツ、イタリアの三国間で行われた児童画コンクール「日独伊親善図画」について調査研究を行なっています。近年「日独伊親善図画」に応募したと思われる日本人の児童画が、ヨーロッパで約350枚見つかりました。筆者はその作者を探しながら、作者へのインタビューや、関係者への取材を継続的に行なっています。
 今回、東京藝大「I LOVE YOU」プロジェクトの助成を受けて行なった「日独伊親善図画インタビュー映像制作プロジェクト」は、ヨーロッパで見つかった「日独伊親善図画」の作者や関係者を探しながら、そのインタビュー映像を制作し、それを筆者自身が運営するwebサイトで公開するというものです。映像と詳しいテキストは是非筆者のwebサイトからご覧ください。


経緯
 今回のプロジェクトは「京都府綾部市綾部小学校」にご協力いただいた。ヨーロッパで発見された約350枚の児童画の中に、京都府綾部市綾部小学校の絵が纏まって10枚(小学校3年生の絵)発見されたためである。
 綾部小学校と初めてコンタクトを取ったのは 2019 年秋頃だった。校長先生のご協力もあり、絵の作者も発見することができ、2020年に作者への取材とトークイベント、展覧会の企画を予定していた。しかし、コロナウィルスで実施が困難となり、中止も考えられたが、 2020 年 11 月に綾部小学校へ取材に行くことができた。一方で作者の方は延期期間中(取材直前)に残念なことに他界された。2020 年 11 月 17日、18 日の2日間で綾部小の村上先生へのインタビュー、小学校6年生へのインタビュー、小学校6年生 (100 名程度)向けの講演会、関係者に向けた日独伊親善図画の展示会と座談会を行なった。想定より小規模となったが、2日間の取材の様子を映像にまとめ、webサイトに公開した。

綾部小学校について
 明治5年(1872年)11月学制発布に伴い、綾部村大字綾部33番地に前身となる「小学博約館」創設された。明治35年(1901年)に綾部尋常高等小学校となる。日独伊親善図画(昭和13年、1938年)はその時期にあたる。その後、昭和15年(1940年)4月に綾部国民学校と改称。戦後、昭和22年(1947年)4月に現在の綾部町立綾部小学校と改称された。綾部小学校は昭和48年(1973年)1月に火災に遭い、校舎が全焼している。現在の綾部小学校の児童数は566名、教職員数が59名(2018年時点)。綾部市で一番大きな小学校である。
 日独伊親善図画に関係する歴史的な調査においては、綾部小学校で代々伝わる沿革史を参考にした。戦前から戦後の授業の移り変わりがわかる貴重な資料である。しかし、詳しい図工の授業の取り組みや、日独伊親善図画に関係する記載は見当たらなかった。この沿革史は引き続き筆者も調べてみたいと思っている。

2日間の出来事
 様々な人々の力を借りて、80年前の記憶を導き出す作業を行なった。発見された綾部小学校3年生の作者と同級生である米田比呂子さん(91歳)は、当時の学生名簿をもっており、作者探しに協力してくださった。米田さん自身は日独伊親善図画に覚えはなかったが、尋常小学校の時は楽しかったと話していた。米田さんのお陰で作者の人々の生存確認ができた。殆どの方は既に他界していた。確認当初、1名の方の現在地がわかり、取材する予定だったが、筆者が京都へ向かう凡そ1ヶ月前に他界された事がとても悔やまれる。

 17日は、関係者向けに日独伊親善図画を展示した。米田さんや、賞状を見つけた人、同級生の方が訪問してくれた。村上校長先生が小さな座談会をする場を設けてくれ、学校関係者の人々と話をした。
 興味深かった話がある、綾部市のシンボルでもあり、国の登録有形文化財でもある綾部大橋(味方橋)。綾部大橋ができたのは1929年で、橋の長さは210m。京都府綾部市並松町から味方町を結んでいる。当時、味方橋と言われていたのもこのためだろうか。近年、この橋の色を巡って議論がされていたそうだ。住民の多くが青色であると思っていたが、実際は茶色だったのではないかという事実が浮上した。その後、新聞で綾部大橋が茶色だったという記事が発見された。そして更に、この絵を見ても分かる通り、少なくとも1938年時点では茶色だったことがわかった。現在の青い色は変更されたものだったことがわかり、日独伊親善図画は、市の歴史証明に一役かったのである。
 10枚発見された絵のうちの2枚は森本博さんという児童によるものであった。博さんは既に他界されているが、その親族にあたる森本正信さん、知子さんが市内で薬局を営んでいるということで訪問し、児童画を見た感想なども伺えた。

 18日は、小学校6年生100名程に向けて日独伊親善図画について話をした。この日はオープンスクールのため、外部の方にもお越しいただいた。彼らのひいお婆ちゃん、ひいお爺ちゃんに当たる人々が子供の頃に見ていた綾部市の景色を、目の当たりにした2008~9年生まれの児童たちは何を思うのだろうか。映像には、児童たちの感想も盛り込んでいる。面白かったのが、「あまり変わらない」と答えが多かった事だ。これは大人の人も同じ感想だった。約80年前の綾部市の風景は今も尚戦前と同様の空気と風が吹いているのかもしれない。

 具体的な綾部小学校における当時の図画教育の調査や、作者の方々へのインタビューはできなかったが、綾部小学校との繋がりが持てたこと、初の試みとなった小学生たちへのインタビューは貴重な機会となった。児童画一枚一枚から生まれる個人の歴史や思い出を伺い、このプロジェクトが綾部市の過去現在未来を繋げる架け橋となれていたのなら、本望である。

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