Vanpheng Keopannha
インタビュイー: ワンペン・ケパーニャ (Vanpheng Keopannha)
インタビュアー: 住友文彦
日時:2018年12月11日 正午
場所:ビエンチャンのLittle House Café
ビエンチャンにある国立博物館は閉鎖していたため、新しい博物館を準備している関係者についてたずねたが、当初NIFAとの交渉では適当な人物が挙げられなかった。しかし、ルアンパバーンが世界遺産登録される際にUNESCOと仕事をしていたフランス人都市計画家のフランシス・エンジェルマン(現在もルアンパバーン在住)からルアンパバーンの国立博物館で「素晴らしい仕事ぶりをしていたが、それを理解できず妬む周囲の関係者との軋轢があった」と評価されていたので紹介してもらった。
現在彼女は、国内全体の博物館の統括をする立場にあり、個別の現場で仕事をしているわけではなかったが、ラオスには各地に小さな博物館があることの重要性を語っていた。しかし、多くの遺物や工芸品は博物館ではなく寺院に置かれており、博物館の役割や意味を十分に社会が認めていないのが問題と話していた。そうした状況で、保存修復をおこなっていく価値、あるいはそれを宗教だけではない文化的な意義を加えて伝えていく可能性が必要になっている。信仰や共同体のなかで使われてきた物を博物館がどのように扱うべきか、について考え、実践する立場にいる。専門教育としては、考古学を学び、中国とスウェーデン(博物学)の大学で学位をとっている。また、埼玉県立博物館で10か月の研修を受けたこともあるそうだ。
ラオスの教育機関では十分な人材育成を担えないため、現場で仕事をしながら育成を行っていると言うが、各施設で教える経験のある人材がいなければ実際にはかなり難しいだろう。現在、この国は中国やベトナムからの資本投資や観光化が進み、経済的な豊かさを求める産業化の進展で多くの文化遺産が失われていく急激な変化の時期を迎えているように思える。ビエンチャンの博物館は再開時期は未定だが、2019年中とのこと。
また「クワイエット・イン・ザ・ランド」は彼女がルアンパバーンの国立博物館側のスタッフとして関わったプロジェクトだった。西欧文化である現代美術をはじめて受け入れる戸惑いは大きかったと話すが、それをきっかけに自分たちの文化を再評価することができた意義は少なくないと語っていた。海外のアーティストが地域コミュニティと関わる中で、その歴史や役割を正確に伝え、示された関心などにはラオスの人たちが得たものが多くあったようだ。つまりアートプロジェクトが持つ文化の媒介者的な役割に意義が認められていた。また、プロジェクトに参加した人たちには影響を受けた人も多く、それもこれが残したものだろうと話していた。例えば伝統的なテキスタイルのコンペも行われたそうで、生産者を表彰し、その後博物館のコレクションとなったものがあったようだ。
一方で、ニタコン・サムサニットが語っていたように博物館が旧王邸を改装したため、地域住民には近寄りがたいものだったのはその通りで、その心理的な距離、あるいは王族に関する記憶の残存は文化施設を考えるうえで興味深いものだったように思う。あるいは、キュレーターチームが自分たちにとって当然のように要望することを一方的に求めてきた問題もあった。それはおそらく文化的に「進んでいる」立場から同等の「質」を求める疑似植民地主義的な身振りだったろう。それは、地域の共同体側の立場に立って交渉していた彼女にとって辛い経験を思い起こすような表情をするほど難しい問題だったようだ。