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TOP 10 Exhibitions in 2021

  • ANB Tokyo、「Encounters in Parallel」4F|小金沢健人、冨安由真

  • 久保記念観光文化交流館・美術展示館/Kubo Memorial Tourist Cultural Exchange Center、「もおか子ども美術館」/Mooka Children's Museum

  • せんだいメディアテーク/sendai mediatheque、「ナラティブの修復」 / Restorations of Narrative 

  • 奥能登国際芸術祭2020+/ Oku-Noto Triennale 2020+、スズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」/ SUZU THEATER MUSEUM“Ark of Light”

  • SYPギャラリー/SYP Gallery「三田村 光土里  365 Encyclopedia」/ MIDORI MITAMURA “365 Encyclopedia” /  HIGURE 17-15 cas、Unknown Image Series no.8 #4 三田村光土里公開制作展「人生は、忘れたものでつくられている」

  • The 5th Floor、「バーチャルの具体性」/The Virtual Concreteness

  • 京都国立近代美術館/The National Museum of Modern Art Kyoto、水戸芸術館現代美術ギャラリー/Art Tower Mito、「PIPILOTTI RIST/ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」

  • 第 13 回光州ビエンナーレ「Minds Rising, Spirits Tuning」/the 13th Gwangju Biennale, Minds Rising, Spirits Tuning

  • 東京都写真美術館/Tokyo Photographic Art Museum、「山城知佳子 リフレーミング」/ Yamashiro Chikako:Reframing the land / mind / body-scape

  • ワタリウム美術館/The Watari Museum of Contemporary Art、「水の波紋展2021 消えゆく風景から ー 新たなランドスケープ」/Ripple across the Water 2021

「Encounters in Parallel」  作家:4F|小金沢健人、冨安由真 (文:金秋雨)

 明らかに、入眠時幻覚はイメージである。ルロワは、そのような幻を前にした意識の態度を「演劇鑑賞のような、受動的な」という言葉で性格づけている。(注1)
                                                           ーーサルトル

 小金沢健人の展示を前回見たのは、2019年神奈川KAATでの「Naked Theatre –裸の劇場– 」以来で、三年前だけれども、それは劇場とイメージの関係性を考え始めた時期でもあったのでその展示はとても印象的だった。それと逆に、冨安由真の展示は金沢での個展「アペルト15 冨安由真 The Pale Horse」や、「房総里山芸術祭いちはらアート×ミックス2020+」での作品《ヤコブの梯子(終わらない夢)》を見たので、一週間以内で三度目の出会いだった。
 その関係もあるかもしれないが、ANB Tokyoでの二人展も、遠い記憶と近い現実(リアリティー)の間のような雰囲気があった。話が少し遠くなるけれども、近年地方で開催する芸術祭の発展とともに、ホワイトキューブ以外の場所、特に廃棄工場、元小学校、無人駅など、元々場の意味がもつところで作品を制作せざるを得ない作家が増えており、作家にとっては模索の道だと思うか、場の意味から離れるか、近寄るか、かなり難しい問題でもある。場の持つ記憶に対して、作家性を保つことはけっして簡単ではない。小金沢も冨安も、そういった場所での展示歴があり、今回ANB Tokyoも取り壊す前の雑居ビルという場の強い主張がある。観客にとっては、一階のバーの隣のエレベーターから入る瞬間に、そこから展示へと向かう心境が変わるはず。展覧会は各フロアごとに異なる作家のグループ展を開催し、5階から4階へ降りていくと、薄暗い玄関に説明文が貼ってあり、おそらく大抵の観客はその見づらさに抵抗し一回通り過ぎ、まず展示を見るだろう。しかし、それはじつは都合良くて、二人の作品はコンセプトやタイトルなどの説明を知る前に、ストレートに作品と向き合う方がいいかもしれない。水面の揺らぎで歪んで見える古いテーブル、どこかで見たことのある絵、冨安の作品は、夢と現実の間の抽象的な一貫性を持つ。今回の合作『So Much Water So Close to Home』も勿論その性格があり、さらに小金沢のネオン管の作品を加えると、何らかの物語を連想しやすい環境である。フロアにはいくつも椅子が設置されており、長時間居座ると、だんだん暗いためやや眠くなり、またその時に急に光が変化し、もしくは他の観客の「侵入」によって起こされ、ここでいったい物語が起きたのか、起きなかったのか、夢を何度も中断された感覚と極めて似ている。二人の作品は、よく「劇場」的と言われ、劇場のような空間は、一般的に三次元で立体的な構造である。しかし、この作品のイメージを三次元的に生成することは難しい。その場で何かを意識的に思うこと、作品の物語に対してすぐ理解しようとすること、いわゆる三次元の情報をその場で分析することは極めて難しい。二、三日後、もしくはもっと遠い先に、再び似たような家具、絵、もしくは暗い場所に出会うとき、ふっと自分の中で意識してたイメージをはじめて思い出し、そして初めてその物語に少し近づけることができる。
 そのイメージは良くも悪くも平面的で、極めて「写真」と近い感覚だろう。

 

 注1,イマジネールー想像力の現像学的心理学、ジャン=ポール・サルトル、講談社学術文庫、澤田直・水野浩二訳、2020、111頁。

Encounters in Parallel
2021年11月27日〜12月26日

https://taa-fdn.org/events/1310/

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撮影:田中直子

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撮影:金秋雨

「もおか子ども美術館」(文:田中直子)

  久保記念観光文化交流館は、美術評論家・創造美育運動で知られている久保貞次郎(1909-1996)の大正期からの邸宅を真岡市が整備し開館した観光施設*1である。展覧会が行われていた美術品展示館は、大正12(1923)年に建てられた米蔵を昭和32(1957)年に久保貞次郎がアトリエとして改修した建物である。小さいスペースではあるが、年に数回企画展が行われている。普段は久保のコレクション(瑛九、池田満寿夫などの)の展示が行われているが、今回は子ども達による展覧会「もおか子ども美術館」が行われていた。
 本企画は子ども達(幼稚園から小学6年生)が制作した作品を「子ども学芸員」が評価し、子ども学芸員が作ったキャプション(表記事項には、作品名、作者名、材質、解説、子ども学芸員の名前が全て手書きで書いてある)と、その作品を展示していた。審査対象となった作品はワークショップフェスタ「みんなの久保アトリエ」*2に来場した子ども達の作品だ。真岡では1987年から創美の意思を引き継いだ児童画展「芳賀教育美術展」を開催している。2016年からは子どもが審査員を行う「子ども審査員特別賞」を設けている。この関連企画としてこの本展は実施された。

  キャプションには、作者の年齢と子ども学芸員の年齢は掲載しておらず、年齢や成長過程に捉われず作品をフラットに見ることができる。解説は主に「この素材を使って、何を作っていて、面白い」というものが多い。そのなかでも目を見張る解説もあった。「海」を描いたかなり抽象的な絵画作品があった。画用紙の中心には紫の色が使われ、その周りを青色の太い線が何本か引いてあり、白い余白が多い作品である。それを子ども学芸員が、白い所が陸で、青い所が海、紫は海の深い場所を表している感じがとても良い。海が広いことを表したいのか全体的に青色にしているのがとても良いと解説していた。筆者はこの解説を見るまでそれが「海」であることが全くわからなかったし、この観察、創造力には驚いた(私が学芸員だったら、こんなこと思えるだろうか)。

   美術館が館のコレクションを教育普及のために、子ども達に作品を学んでもらい、子どもが学芸員になりきりその作品を解説する企画は時折耳にする。無論そのコレクションは名画や価値のある大人達の作品だ。一方で「もおか子ども美術館」は、子ども達の等身大の価値観で作られた作品を等身大の感覚で解説する。子ども達は本企画を通して「美術」をより身近に感じることができるだろう。また大人達にとっても新しい「美術」の見方を与えてくれる。作品の見方を子どもから教わるという普段と逆の立場になる体験は刺激的で、自身の創造力が試される展覧会であった。

 

*1:久保記念観光文化交流館は、久保記念館、観光まちづくりセンター、観光物産館、レストラン、美術品展示館を備えた観光施設である。

*2:「みんなの久保アトリエ」とは、さまざまな画材、素材が用意され、「お絵かきの部屋」と「立体の部屋」から好きな部屋をえらび、子どもが描きたいもの、つくりたいものを自由に創作することができる。ワークショップフェスタは2日間同じ内容で開催された。(参照:http://machim.jpubb.com/press/3915413/

「もおか子ども美術館」久保記念観光文化交流館・美術展示館
"Mooka Children's Museum" Kubo Memorial Tourist Cultural Exchange Center
2021年12月9日~2022年2月6日
https://www.kubokinen.net/news/archives/870

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写真:美術品展示館の外観、撮影:田中直子

「ナラティブの修復」(文:中谷圭佑)


  せんだいメディアテーク開館20周年展として企画された「ナラティブの修復」展は、東日本大震災から10年間という歳月を通してこれまで震災のナラティブ(もの語り)と向き合い続けてきたせんだいメディアテークによる意欲的な試みであったといえよう。タイトルの修復(Restorations)という言葉に込められているように、本展は明らかに強く東日本大震災という破壊の物語を意識している。しかしせんだいメディアテークは本展を通して、声高に震災を語ることはしなかった。そこには、当事者として東日本大震災を語ることができる展示施設という館の責務を果たし続けるための、非常に重要な視点と気概を感じられる。本展においてテーマとして掲げられているのは、ワレモノで繊細なナラティブを過去、現在、未来へと伝え続けていくための可能性であり、招聘されたのは他者や自らにじっと耳を傾け、多元的な「語りの術」としての芸術表現を試みてきたアーティストたちだ。

   本展に参加した8名と2組のアーティストは、メディアテークとともにポスト震災の文脈が否応なく付与された地域の中で活動してきた。そんなアーティストたちの展示作品において語られているのは、マスメディアで繰り返し特集されるような大きな物語ではない。取り壊された建物、どこかの荒れ地、ある地区の歴史、亡き父の遺品の欠けたアルバム、街の人々との即興劇の会話、なぜか聞いたことのある歌、変わりゆく故郷の景色、巨大な鯨にまつわる物語に、11歳の頃の思い出たち、そしてある1人の芸術家・・・ともすれば語られず、いとも簡単に忘れ去られてしまうような個々の出来事や体験、個人や集団の記憶たちである。

   展覧会会場にぎゅうぎゅうに詰められた無数の切実なナラティブたちはまさに圧巻であり、少し息苦しくなってしまうほどであった。そんな中でふと目を引いたのは、陸前高田市出身のアーティスト、佐藤徳政による《ダイヤモンドフロッグ》だ。会場の中に突然現れるキヲスクと、その奥に開けた薄暗い空間には、静かにカエルの鳴き声が響く。佐藤は《ダイヤモンドフロッグ》という創作絵本と、絵本に登場するキャラクターの様々なグッズによって彼の故郷の過去、現在、未来を語る。ディスプレイされたTシャツのタグにも書かれた絵本の詩的な文章は、ただ悲痛なだけではない、震災も含めたその土地の物語への深い慈しみを感じられる。カエルのキャラクターに託されたその大切なナラティブは、時を超えて共に語り継ぎうるものに違いない。

  「メディアテーク」という自らの名前にもあるとおり、記憶媒体というものに対する絶え間ない問いが「ナラティブの修復」というタイトルによってこのような展覧会を実現させたのではないだろうか。開館から20年、そして震災から10年。本展の試みは、せんだいメディアテークがさらにこの先の10年、20年へと進んでいくためのメルクマールのような展覧会であった。2022年4月から全国で発売される展覧会の記録書籍も楽しみだ。

「ナラティブの修復」せんだいメディアテーク6階ギャラリー4200

 2021年11月3日―2022年1月9日

https://www.smt.jp/projects/narrative/

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撮影:中谷圭佑

スズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」(文:田中直子)

  奥能登国際芸術祭で劇場型民俗資料館として誕生したスズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」。珠洲市立西部小学校の体育館(2016年閉校)を全面的に改修し実施された。巨大な展示空間には、本展の主役となる民具がいくつかのエリアに展示してあり、所々に設置された小屋には、作家による珠洲の歴史などをテーマとした作品が展示されていた。中心には砂浜があり、氷河期の珠洲の砂が敷き詰められ、波の映像が投影されている作品*1が設置されている。失われつつある民具たちが時を止めた宝箱のような空間で生き生きと展示されている光景は正にノアの方舟のようである。展示企画者と作家たちが民具たちに敬意をもって接しなければ、本展は成立しなかっただろう。

  奥能登国際芸術祭では、「大蔵ざらえ」*2という家に残る生活用具を収集する活動をしたそうだ。そこで出会うものは、その家に残った不要なものたち、いや、捨てることができなった理由を内包するものたちだ。その捨てることができなかったものと対話をした結果の一つが本展である。作家グループOBIが行った《ドリフターズ(漂着物)》では、赤御膳などの大量の生活民具が展示空間につくられた裏道や小道にインスタレーションという形で展示されていた。漂流して流れ着いた様々な珠洲の生活の欠片が、奥深い洞窟のなかに溜まっているようだった。そこを歩いたり、立ち止まったりすると、何故これがここに漂着したのかと考えずにはいられず、自然と民俗の歴史の世界に入り込んでしまう。人間の営みによってつくられた歴史の空間に身を投じ、広大な時間と歴史の渦のなかに彷徨って浮いているような感覚を楽しむことができた。

「光の方舟」は、地域の民具や歴史の展示方法の可能性を見せてくれた展示であった。公式サイトによると「大蔵ざらえ」は「アーティストの創作によって「珠洲の語り部」としても活用していく」とある。今後の活動にも注目していきたい。

 

*1画像あり。会場の中心にあったのは南条嘉毅による作品《余光の海》である。

*2「蔵ざらえ」は、商店が店じまいするときに使われる言葉ですが、過疎高齢化の進む珠洲においては「家じまい」が進んでいます。そこにはなじみ深い家具・調度・道具・什器・備品・祭り用品・日記・ノートなど、貴重なものが無数にあります。それら蔵にある品々を皆で掃除・移動し。保存・研究すると同時に、アーティストの創作によって「珠洲の語り部」としても活用していく取り組みです。(以下より引用:https://oku-noto.jp/ja/museum.html

スズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」、奥能登国際芸術祭

SUZU THEATER MUSEUM “Ark of Light”、Oku-Noto Triennale
2021年9月5日-10月25日

https://oku-noto.jp/ja/index.html

ヘッディング 1

光の方舟 (1).JPG

撮影:田中直子 

「365 Encyclopedia」・三田村光土里公開制作展「人生は、忘れたものでつくられている」 (文:平河伴菜)

   2021年の暮れに、三田村光土里による2つの展覧会が開催された。

   SYP Galleryで開かれた「365 Encyclopedia」展では、三田村が自身の実家に残された百科事典をもとに、ドローイングや刺繍を交えて制作したコラージュ作品が紹介された。彼女は1年間のあいだ、毎日20ページずつ、事典と向き合い、独自の感性で単語や挿絵をモチーフとして選択し、1枚の「ファウンドドローイング」を描き続けていた。ファウンドドローイングとは彼女による造語で、「ファウンド・フォト」の手法から着想を得ている。見つけた画像をなぞり、トレーシングペーパーを重ね合わせて新しい絵を作り出す三田村の制作プロセスは、過去の誰かが撮った写真を再構成するファウンド・フォトの行為に共通する。

   HIGURE 17-15 casで公開制作として発表された「人生は、忘れたものでつくられている」展では、これまで三田村が行ってきた、「滞在制作に軸足を置き、時間をかけて日々の気づきを空間に積み上げるよう」なインスタレーションが展開されていた。私が訪れたときには、空間を大きく区切るような木枠や積み上げられた百科事典、三田村の父と三田村自身のポートレート写真、そして大きな林檎が緩やかに配置され、小宇宙を成していた。

   2つの展覧会に一貫していたのは、穏やかな時間の感覚であり、また、日常性の感覚である。

    今日の情報化社会において過去はデータという形で増殖し続けているが、そこで百科事典というアナログなメディアに触れ(事典そのものにも思い出が詰まっている)、一つひとつの情報に自分の記憶を結びつけていく。また、日々「輪郭を失」う思い出の印象をなぞるかのように、身の周りのものを空間に置いていく。その行為の根底には、データ化された記憶ではなく、個人の身体化された過去の知見や体験がある。

三田村の表現は、時間感覚が常に加速していくかのような情報化・資本主義社会において、私たち一人ひとりに、現在と過去の絶えない往来によって成り立っている、日常のリズムがあることを再認識させてくれる。

三田村光土里「365 Encyclopedia」

2021年11月18日―2021年12月12日

https://sypgallery.com/2021-11-mitamura/

Unknown Image Series no.8 #4 三田村光土里公開制作展「人生は、忘れたものでつくられている」

2021年12月4日―19日

https://hgrnews.exblog.jp/32381375/

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撮影:平河伴菜

「バーチャルの具体性」(文:平河伴菜)

  コロナウイルス感染禍のなかで、あらゆる社会的活動の場がオンライン上へと移行する動きがある。2010年代に入って「バーチャル」という言葉が大手のメディアや日常会話に徐々に浸透してきていた印象を受けるが、コロナ禍において、その言葉の認知の範囲は更に拡大していると思われる。

  グループ展「バーチャルの具体性」では、バーチャリティはリアリティの一側面として説明される。リアリティには、「アクチュアル」と「バーチャル」の2つの次元があり、バーチャルは現実の一部を成す(注1)。本展は、文京区根津にある旧花園寮の5階をギャラリースペースに改装したThe 5th Floorで開催された。会場となっている4つの部屋には小テーマが与えられ、展覧会全体を通じて1つの流れが形成されている。本展では、こうした会場の空間構造を最大限に活かし、「バーチャリティ」という概念を物質性、仮想性と潜在性、そして非物質性(記憶や夢)の切り口から解体した展示であった。

  第1室ではバーチャリティを支える要素として存在する物質(原子力による放射性廃棄物や電子機器の廃棄物)に注目し、第2室ではジャン=バティスト・ラングレによるビデオゲーム作品『La Zone』(2016-2021年)の世界が部屋中に展開されている。おそらく私たちの多くがバーチャルという言葉と直感的に結び付ける「デジタル」が強調され、またゲームの画面を超えて現実の部屋にイメージとして拡散していくコラージュ表現は、バーチャルに込められた可能性という意味に焦点を当てる。

  第3室では、1960年代日本のコンセプチュアル・アートを代表する松澤宥の『プサイの死体遺体』(リトグラフ、1964年)が軸となって、近代以降に展開されていった非物質性の議論や集団意識の歴史的背景と、バーチャリティの概念との接続が試みられる。また、ゾエ・シェレンバウムによる『人工水平線』(鏡、下諏訪の灰、土及び水、譜面台、ウベア島のタカラガイ、カタツムリ、組紐、映像(シングルチャンネル)、記憶、2021年)は、松澤の作品から派生し、記憶や過去は非デジタルなバーチャルとして読み替えられる。

  第4の空間である屋上へ進むと、グリーンハウスを想起させる、3つの透明な「夢を見るための装置」が並んでいる。中へ入り込むと、左右に静かに揺れるゆりかごを前にする。最も身近な次元で、バーチャル領域は私たちの中に存在する。

  本展は、バーチャルという概念に複数のアプローチが可能であり、なおかつそれらのアプローチを明快に提示している点において評価できる。また、とりわけバーチャルの意味を非物質性、記憶(歴史)や夢(心理学)との繋がりのなかに見出したことに独自性があると感じた。

 

(注1)アレクサンドル・タルバ、花岡美緒[編]『バーチャルの具体性 / The Virtual Concreteness』(2022年)展覧会カタログ、3頁。

バーチャルの具体性 

2021年5月16日―2021年6月3日

https://thevirtualconcreteness.wordpress.com/home-2/

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   撮影:平河伴菜

「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」(京都) (文:金秋雨)

 西の方から市内へ向い、静かな山道を一時間少しで岡崎公園が見えてくる、京都国立近代美術館で開催する「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」展はコロナの影響で会期延長していたため、京都で用事がある時に偶然見ることができた。駐車場から美術館に向かうと、平安神宮の大きな鳥居の下で、うっすらと見える誰でも持っていそうな白いパンツが洗濯もののように干された《ヒップライト(またはおしりの悟り)》という作品を目にする。あまりにもリストっぽくて、クスッと笑い、その「リストっぽさ」を心のどこかに置きながら展示を見始めた。

 これは回顧展ではないが、日本では13年ぶり個展でもあり、展示は基本的に制作年順で展開され、80年代の初期の作品から、展示室を進むと近年のインスタレーション作品が40点前後で構成されていた。彼女自身の制作史でもありながら、この30年間のビデオ・インスレーションの変遷について考えさせられる展示でもあった。初期の短編ビデオのリズム、ビデオアートのインスタレーションの仕方、空間との対話、社会問題(環境問題、ジェンダー問題)への関心、視覚と身体への問い。彼女は一見遊び心とユーモアがあると同時に、複数の問題を同時に提起しながら作品を作り続けてきた。カタログでは、多分これ以上作品を分析するのは難しいと思われる、リストの30年の活動を概観したカルヴィン・トムキンズ(Calvin Tomkins)によるインタビューの翻訳を収録している。リストの作品には常に「現在」を感じる。彼女の制作は、その時代ならではの複雑な問題に目を背けない姿勢をもち、さらに想像力を発揮し、作品として「現在」と会話を求めていた。リストのホームページを開くと「Pipilotti Rist video artist」と強く主張されているが、彼女はけっしてビデオ・アーティストとしてだけで語れる人ではない。ビデオ・インスタレーションの展示は、誰かと一緒に回るのは極めて難しく、映像作品を展示室で最初から最後まで見る人はほとんどいない。しかし、リストの作品は繰り返し見ても苦ではない作品が多く、またはっきりした始終が曖昧なおかげで、展示の途中で同行者とすれ違って他人の角度でみることも面白く感じた。

 リストの作品は、異なる展示場所、空間、タイミングによってかなり感じ方が変わるはず。その2ヶ月後の水戸会場での展示は残念ながら見ることができなかったが、また次にリストの作品と出会う前に、他の「場」で彼女の世界へ潜むことができる力をより身につけたいと思う。
 

ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-

2021年04年06日ー06月20日 

https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2021/441_02.html

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撮影:金秋雨

「ピピロッティ・リスト:Your Eye Is My Island -あなたの眼はわたしの島-」(水戸) (文:Yan Xiyue)

Art Tower Mito's Pipilotti Rist exhibition featured more than 40 artworks ranging from as early as the 1980s to 2021, almost a retrospective exhibition of Rist's art practice in over 30 years. The exhibited works were approaching gender, body, nature and ecology topics in a very distinctive Rist style: light, soft, colorful, playful and even dream-like illusionary qualities, which was ensured and enlarged by the design of the whole exhibition, which owed to the perfect remote collaboration between the artist and curators. 

The exhibition spaces were unexpectedly comfortable and intimate, for that audiences can take off their shoes to walk on the carpet, sit or lay down on the cushions and sofas. Comparing with standing stiffly in front of the screens, the distance with art shortened and softened, and a feeling of interaction and immersion emerged, even if it was just a simple action such as taking off the shoes. My favorite room was where "4th Floor to Mildness" was exhibited, in which a cloud-shaped projection panel was hanging on the ceiling in a completely dark room, and several beds with pillows were placed under it. Lying down, looking up to the video taken under water, hearing the sound of flowing water and light music, it felt like being surrounded and embraced by the clear, tranquil and fluid water. As Rist said in an interview, "the best thing that can happen when you look at a piece of art is that you don’t only perceive it intellectually, but physically, when you feel your reaction to it in your body." This immersive and intimate experience also might be a solution to some inherent issues of video art. For example, despite the amount of video pieces, it did not feel screen-heavy or tiring for me at all. The spaces and installation settings helped screens merge harmoniously into the environment, and therefore invoking physical experience and perception of the audience, avoiding the burden of digital screens.

 

As I mentioned previously, Rist's works are very unique for its fluidity, elasticity, colorfulness and playfulness, which might be the result of her trying to "ignore the constraints of technical conditions as much as possible and give it warmth". She seems to be exploring and experimenting with all possible ways of camera movement, position and combination. There was the underwater video "4th Floor to Mildness" shot from an upward view, and also a downward perspective video "Selfless in the Bath of Lava" hidden in a hole on the ground. In some pieces she even abandoned the contents and played with the form and concept of video. My favorite piece was "Digesting Impression", an installation made by a square retro television placed in a swim suit right at the stomach's position. What a brilliant video sculpture it is, relating visual perception with food digestion, exchanging the brain with the stomach, I thought at that moment. The screen was almost blocked by the swim suit, difficult to see the content, which was exactly the soul of this work! The video was a metaphor for anything that we have seen or wanted to see, and therefore the form overwhelmed the content, and also a new possibility for video art.

 

Pipilotti Rist: Your Eye Is My Island

2021年9月20日―2021年10月17日

https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5142.html

 

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撮影:Yan Xiyue

第13回光州ビエンナーレ「Minds Rising, Spirits Tuning」(文:チョ・ヘス)

  コロナウイルスの感染拡大により、2020年に開催予定だった第13回光州ビエンナーレは2021年4月に公開された。今回のテーマは母系中心システム、アニミズム、マイノリティーの社会などをベースとして「共同体意識」を扱う。そして、人間の精神的な面を強調し、生と死、さらに自然、電子知性(electronic intelliegence)まで扱うことになる。

   韓国語版タイトルである「떠오르는 마음, 맞이하는 영혼」は英語のタイトルとしては「Minds Rising Spirits Tuning」なっているが、実はこのタイトルの間には意味の違いがあることも紹介したい。韓国語を日本語で直訳すると、「浮かび上がる心、迎える魂」 という意味に近くい。心と魂の関係を見せながらも、物語りのようなこのタイトルから、今回のキュレーションが死者と生きてる存在の間、あるいはその連続性の上にあることを感じる。

   光州民主化運動から40年が過ぎた現在まで、抵抗の歴史とトラウマを積極的に扱ってきた光州ビエンナーレが、今回では想像もし難い遠い過去まで遡って、年度未詳の文化財などを現代アートと一緒に取り扱うようになった。国立光州博物館がビエンナーレの主要展示場の一つとして使われることは重要なポイントで、国立光州博物館で開かれた展示のタイトルを見てみると、「사방천지, 온전히 죽지 못한 존재들」(The Undead from Four Directions)、直訳すると 「四方天地、完全に死なない存在たち」になる。 このように、今回の光州ビエンナーレは、政治的であるいは未来的なテーマを扱っている作品とともに、過去に対する哀悼を忘れない。

  このキュレーションを支えているのは、世界を認識するツールとしてのフェミニズム、そして共同体意識だ。メインの展示だけでなく、ビエンナーレ期間の間に公開された様々なプロジェクトでもこのようなところがある。光州ビエンナーレ財団は2020年5月から5度の月刊誌(ゲストエッセイ)を発表した。そこには今まで周縁部に退いていた物語、例えば、光州の女性史、北朝鮮での仮想存在、韓国の若者たちのデジタルフェミニズム、韓国社会の複雑な宗教的なレイヤーなどに対する話が含まれている。また、今回のコミッション作品の一つであるホー・ツーニェンの《The 49th Hexagram》は韓国の休戦ラインの北にある国("The Nation of Morning Calm")のアニメ会社に依頼して制作された作品だ。どんな完成作が戻ってくるか、あるいは、戻ってくるのかも知ることが難しかった、挑戦的な試みである。完成作品のクレジットに隠されてる国家名や人たちの名前が象徴するように、今回のビエンナーレは名前を持たない者たちを迎えようする企画だったと評価したい。

The 13th Gwangju Biennale 「Minds Rising Spirits Tuning」  

The Gwangju Biennale Exhibition Hall, Gwangju National Museum, Gwangju Theater, Horanggasy Artpolygon, etc.

2021年4月1日ー5月9日

gwangjubiennale - 13th Biennale(2020)

Gwangju Biennale2.HEIC
Gwangju Biennale1.heic

撮影:チョ・ヘス

「山城知佳子 リフレーミング」展 (文:チョ・ヘス)

  沖縄の風景と歴史が身体を横断する作品を続けてきた山城知佳子の初めての公立美術館での個展だ。東京都写真美術館地下1階の展示空間の展示は、たんに作品の制作年順やアーティストの成長過程などを見せる個展の特性を乗り越え、様々な作品から共通して醸し出される雰囲気と身体感覚が強調されるように構成されていた。新作である《リフレーミング》と過去の代表作品が組み合わされ、鑑賞者は展示室を回遊しながら巡る。そして洞窟を背景にしている《黙認のからだ》シリーズは暗い通路に位置するなど、繊細な演出をしていた。 

  また、作品間のサウンドを完全に分離していないことで、作品間の連結を残しているという印象を受けた。こうしたサウンドのレイヤーは個別の作品にも現れ、《土の人》では日本語、ウチナーグチ(沖縄の言葉)、韓国語の詩が流れる。この言語は耳を傾けても正確には聞き取れないほどぎっしりつまっている(少なくとも二つの言語を聞き取れた私にはそうだった)。 そして、そのような音の結合は、離れている場所をひとつにまとめながら、「土」の上に重なる。

  アーティストが生まれ育った地域に注目することは、たまに作品を「地域」に閉じ込めてしまう。そして、それは作家自身も表現方式の限界のフレームを決めることにつながる場合もある。しかし、山城知佳子の場合、沖縄の風土と精神を自然とのコミュニケーション、他の地域(例えば前述の「土の人」に見られるように、韓国の済州島など)、あるいはファンタジーの世界観と結び付けながら拡張していく。実際に沖縄を作品の素材や背景として使っているにもかかわらず、巨大なテーマから見るとそれは暴力の構造を示す象徴になっている。そのため、たんに沖縄の地域的特性を示すというよりは、風景そのものを社会的で政治的存在として、声と体を与えるリフレーミングの作業に近いと感じた。


山城知佳子 リフレーミング

2021年8月17日ー10月10日

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-4023.html

山城千佳子 「リフレーミング」 1.HEIC
山城千佳子 「リフレーミング」 2.HEIC

撮影:チョ・ヘス

「水の波紋展2021 消えゆく風景から ― 新たなランドスケープ」(文:中谷圭佑)

  本展は、東京2020オリンピック・パラリンピックの開催気運を高め、東京の文化プログラムを多くの人々に知ってもらう活動を支援したTokyo Tokyo FESTIVAL 助成を受け、ワタリウム美術館によって企画された展覧会である。同じくワタリウム美術館が企画した「パビリオン・トウキョウ2021」と合わせ、コロナ禍の東京の都市空間を舞台に22名と3組のアーティストたちの作品が展開されていった。

  1995年にベルギー出身のキュレーター、ヤン・フートを総合監督に迎え企画されたワタリウム美術館の代表的な展覧会「水の波紋95」から26年越しに開かれた本展は、今では一般的に認知されるようになった街なかを舞台にした当時の展示形式を踏襲しながら、しかし今度は和多利姉弟が自らキュレーションの船頭に立ち、ワタリウム美術館の豊富なコレクションと、国内のアーティストたちの新作を中心に企画された。

  結果的に1年の延期を経て開催された東京2020オリンピック・パラリンピックと同じタイミングで開かれた本展は、オリンピックを契機に再開発が行われ、現在進行形で失われていく東京の街並みへと人々の目を向けさせようとした。「水の波紋95」において、昔の原宿駅の、正月の混雑緩和のためだけに利用されていた臨時ホームに設置されたビル・ウッドロウ《ハーフ・カット》は、今回、仮囲いされた都営青山北町アパートとジェントリフィケーションが進む街の境界線に取り残された三角公園に設置された。また1999年に新しい建物になる以前で、当時、廃園になったばかりだった原宿幼稚園に設置されたフランツ・ウエスト《たんこぶ》と川俣正《プレファブリケーション・東京/神戸》は、2020年に竣工したばかりの25階建ての複合施設「ののあおやま民泊棟」の1階、おはよう保育園の堅牢な入り口の近く、階段の脇にポツンと設置された。

  「水の波紋95」で制作された作品たちが、新たに与えられた場所の文脈の上でどこか寂しそうに佇むのとは対照的に、本展に向けて新たに制作された国内のアーティストたちの作品は、確かな生命力と問いを持って、現在の東京、青山の街へと展開されていたように思う。特に国有の空き地を舞台にSIDE COREが自らキュレーションし、石毛健太、森田貴宏、BUBU、EVERYDAY HOLIDAY SQUAD、TOKYO ZOMBIE、鯰らとともに展示した「地球、神宮前、空き地」は、批評性を保ちながらも、今では見なくなった街の空き地と東京の青空を軽やかに描き出した。

  「水の波紋95」という展覧会は、タイトルのなかに開催年が入っているように、もともとは数年に1回、継続的に開催するプロジェクトとして考えられていた。しかし、あまりにその1回目が大変だったため断念したのだという。26年の年月を経て再び動き出した「水の波紋」は、これからどのように広がっていくのだろうか。ぜひ第3回「水の波紋」に期待したいと思う。
 

水の波紋展2021 消えゆく風景から ― 新たなランドスケープ

東京・青山周辺 27箇所〔岡本太郎記念館、山陽堂書店、渋谷区役所 第二美竹分庁舎、テマエ、ののあおやまとその周辺、梅窓院、ワタリウム美術館とその周辺〕
2021年8月2日―2021年9月5日

http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202108/

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撮影:中谷圭佑

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