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『スマート・タクティクス』日本語(暫定版)の公開にあたり

 

これは、Smart Tactics: Curating Difficult Content(2018)の日本語訳(暫定版)である。同書はアメリカの美術関係者が検閲に反対するためのネットワークとして活動をおこなうNational Coalition Against Censorship (NCAC、全米反検閲連盟)が、大小さまざまな美術の専門機関を対象に行ったアンケートをもとに、「検閲の脅威が発生した場合に対応し、アートの専門家が複雑な圧力や政治的・倫理的な考慮事項に対処できるように支援していく」目的で書かれた本である。

これを読むと、逆説的だが実際には題名から期待されるような「賢明な戦術(Smart Tactics)」はないことが分かる。つまり、現代社会において美術作品や展覧会をめぐって巻き起こる議論が持つ幅はかなり広く、さらに時代や地域によって変化する。特別な対応方法を知っていれば解決できるのではなく、むしろ硬直化した単一の意思決定の仕組みこそがリスクだと感じるはずだ。つまり、不確実な政治や倫理の要請と向き合うために、美術館にとって日ごろから組織の構成や地域との関係性をどのようにつくっておくべきかを検証し、その都度適切な「賢明な戦術(Smart Tactics)」を選択できるようにしておくことが必要になる。

そういう意味でこれは先行事例を豊富に参照できる実用書であり、とくに現場で仕事をする学芸員や専門家たちは共感する点も多いはずだ。いっぽうで、アメリカの組織ガバナンスは日本の読者にとってはなじみが薄い点も少なくないため、これを他国の一例として対岸の火事と見なす人もいるかもしれない。日本の組織ガバナンスにおいては、問題が生じたとき、その意思決定のプロセスが明示されることはほぼない。それは当事者以外の者が加わってもっと良い解決方法を探る作業ができないことを意味する。これはおそらく芸術機関に限らず、個人の役割を明確にしない社会的慣習が大きく影響していると思われる。しかし、検閲問題をめぐって発生する諸問題が個人の責任だけでなく、むしろ組織や社会の構造的な問題に起因することを認める方が有用な場合は多いはずだ。そうした検討がなされないと、事案の当事者も外部の者も全体像が把握できないまま放置されることになる。つまり、私たちは本書を組織の意思決定をめぐる複雑さの実例として参照し、もし論争と直面するときに単一の意思決定の仕組みしかなければ、いかに多方面からの検討や対応を可能にするかを考える助けにすることもできる。

とりわけ、この本が書かれた意義として著者が「(芸術機関が)どんなにうまく論争を扱っていても、瞬間的に加熱する報道やソーシャルメディアが、ストーリー全体に注目することはほとんどない」と述べている点はとても大切である。ジャーナリズムや学術における論争の多くは個人の考えや発言をめぐるものだが、芸術機関は組織を維持するために複数の支援者や運営者が関与する集団的な活動をおこなうため、しばしば個人の価値観を超えた活動を実践する。そのことによって、長い時間をかけた活動が可能になり、公共性の一端を担う活動と見なされる。複数の価値観の交渉過程は長い「ストーリー」を持つが、論争を伝える局面において表に見えているのはその一部でしかないのは明らかである。論争が可視化される方法が、組織の支援者や運営者との有機的な関係性を捉え損ねた結果、持続的な活動に大きな亀裂が残ってしまうことは少なくない。本書が示そうとするのは、論争に関わる多くの人たちがこうした「ストーリー全体」を理解することで、不確実な政治や倫理の要請と向き合える「賢明な戦術」をそれぞれが探すことの重要性にほかならない。

最後に指摘しておきたいのは、これが現場における実用書以上の意味を持つ点である。ご存知のようにICOM(国際博物館会議)は博物館の定義を更新させようとしている。その作業部会の報告によれば、気候変動、あるいは不平等や格差のように賛否両論ある問題に博物館が積極的に関与することを促すものである。「単一の西洋の科学的伝統ではなく、むしろ、多様な世界観や知識系統に根差すべき」と述べ、博物館を特徴づけてきた「不変性」の概念が過去の認識を変えていくことを妨げているのではないかという深刻な問いを投げかけている。現在この定義はまだ採択されていないが、これは既に起きている変化を反映させていると考えるべきであり、そうすると博物館において論争的なテーマは避けるべきものではなく、むしろ積極的に取り組むべき対象になっているとみなすこともできる。

伝統的な博物館学や百科全書的な博物館の認識論に対しては、すでにミシェル・フーコーやエドワード・サイードらの研究に依拠したポストモダン批評理論が「多様な世界観や知識系統に根差すべき」という指摘を繰り返してきた。美術館においても、おもに人類学や社会学とニューアートヒストリーが結びつくことで「展示の政治学」と呼ばれる理論的探究を積み上げてきた成果がある。しかし、それらは作品や展示という目に見える対象を扱っているため、それぞれの美術館のプログラムの相互関係や組織ガバナンスまで含めた「ストーリー全体」を対象にした考察はおこなわない。各芸術機関がその成立や運営において、複雑な価値観を反映せる公共性を担っている事実は、特定の「正しさ」とも異なる別の価値観の存在を明らかにする手助けになる可能性がある。そこにジャーナリズムや学術の分野とは異なる芸術機関の特徴と役割があるはずではないだろうか。つまり、例えば保守的で旧態然とした組織の構成員がいたとしても、それは実際に私たちの社会を反映しているはずである。むしろ、それと向き合うなかで美術館がどのような知的、経済的特権性を持っているのかを明らかにすることで、その旧態然とした価値観だけでなく、もっと周縁化され見過ごされた価値観の存在に気づく可能性もある。当然アメリカの事例にも問題は多く、例えば寄附者の影響が大き過ぎる点などは是正されていくべきだろう。こうして美術館を純粋で単一の価値観から解放し、地域と有機的に結びつく異種混淆の価値観がせめぎ合う場と見なすことは、これまでのミューゼオロジーとも構造主義以降の批評理論とも異なる、芸術機関のあり方を考える新しい理論を産み出す可能性もあるのではないだろうか。

以上のように、本書は実用面だけでなく現代の新しい芸術機関の役割を照らし出す射程を持っている。それを正確に受け止めることができれば、きっと日本の芸術関係者が不必要な萎縮を避けて、積極的に論争的なテーマと向き合うための支援となるはずである。

 

昨年夏に「あいちトリエンナーレ2019」で起きた展示中止や展示ボイコットをめぐる問題について、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科で3回の研究会を実施し、その過程で本書についてArts and Lawの作田知樹氏から教えていただいた。その後、クリエイティヴ・コモンズ・ライセンス(4.0)で公開されている本書を日本語に翻訳する作業に取り掛かった。「本書の概略」「論争をうまく扱うためのハンドブック」「美術館が論争を扱うためのベスト・プラクティス」を作田、そのほかを私と当研究科の助手(狩野愛)と博士課程に在籍する大学院生3名(権祥海、宮川緑、田中直子)がおこなった。多くの日本の関係者にいち早く読んでもらうことを目的に、訳語や文章の形式の統一まで行き届いていない暫定版で公開することにした。大量のアンケートを引用するため脚注も多いが、その多くを割愛している。今後関心ある方々のご助力を幅広くいただける際に、機会を見て手をつけられなかった箇所の翻訳や校正作業を行えればと考えている。

 

2020年8月

住友文彦

Smart Tactics: Curating Difficult Content(2018) 日本語訳(暫定版)

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