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国のない人

文:権祥海

参加アーティスト:李晶玉(リ・ジョンオク)、鄭梨愛(チョン・リエ)

企画:権祥海(トークの司会およびワークショップ進行を担当)

写真・映像記録:加藤康司、敷根功士朗

 

  • 日時:2019年1月15日(火)18:00(会場の設営は1月14日(月))

  • 会場:東京芸術大学上野キャンパス学生会館2F 大集会室

  • 参加対象:誰でも参加できる(Facebookのページを通して広報)

  • 参加費:無料

 在日朝鮮人アーティスト李晶玉と鄭梨愛は、民族や個人の歴史など自らのアイデンティティを、作品活動を通して探求してきた。李と鄭にとっての展覧会とは、単なる作品の発表の場を超え、様々なコミュニティとの関係の中で自らの存在と遭遇するきっかけである。それは同時に、他のコミュニティの構成員との作業の中で、安易な妥協や過渡な同一視からなる理解し合えなさを発見する過程でもある。

 今回のトークでは、李と鄭が参加した展覧会(区画壁を跨ぐ橋プロジェクト「突然、目の前がひらけて」(2015)、韓国京畿道美術館での「コリアン•ディアスポラ」展(2018))を振り返ることで二人のアイデンティティがどのように現前化されたかを試みた。続いて、会場に配された現在進行中のインスタレーションの中で観客とワークショップを行った。

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「剥き出しの生」を考える

 

 本イベントを企画するようになったきっかけは、私が李と鄭と共に「コリアン・ディアスポラ」展に参加したことだった。当時私は展覧会のコーディネーターとして関わる中、展覧会が掲げた「地域の網羅」という視点に疑問を持つようになった。つまり、韓国という故郷(中心)と海外という第2の故郷(周縁)の関係を唱えながら、「韓民族」という概念を重視するあまりに、一方的で固まったディアスポラ論に陥った印象を受けた。ここから、必ずしも民族や国家に収斂されない、いわば「剥き出しの生」を生きている意味での「国のない人」について考えることにした。

 トークイベントの内容となったのは、私が李と鄭と共に展覧会のオープニングイベントに参加するために韓国に行った時の経験だった。李と鄭は、美術館側が設けたイベントやDMZツアーに参加した時、まるで作られた舞台の中で自分たちが演じているようだと言った。そういった演劇性や虚構的風景というアイデアを、いかに人々と共に共有できるかという考えから、トークとワークショップという形式を取り入れることにした。こういったコンセプトから李と鄭の作品を会場に設置し、観客がその演劇的空間(作品)の中に入り込むようなイメージを考えた。李は既存に関心を寄せてきた虚構的空間を絵画インスタレーションで表現し、鄭はカメラと被写体との関係を考える撮影演出を担当した。

マイノリティー経験の共有の難しさ

 イベントの実施しながら痛感したのは、特定のマイノリティーの問題を一般観客と一緒に考える時の難しさだった。一番苦戦した部分は、私たちが今までワークショップや参加型作品に携わった経験がなかったことだった。私たちは当初からワークショップ形式を重視してきたが、内容面、運営面における準備が足りなかったのである。まず、内容面からは、ワークショップの進行方法がちゃんと工夫されなかったため、観客とどのようなやりとりをするかが用意されなかったし、観客からの質問に流動的に反応できなかった。運営面からは、イベントに参加する人数が予測できなかったため、会場のセッティングが散漫になった。これによって観客と議論を広げることができる題材が提示できず、観客とのインタラクティブな対話ができなかった。

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 もちろん、私たちが設けた緩い構造の中で意義深い質問やコメントをくれた観客も多かった。民族的マイノリティー以外の他のマイノリティーへの関心、李と鄭が所属したコミュニティーについての矛盾した立場、李と鄭の在日アーティストとしての立ち位置など、いずれも示唆に富んだ質問だった。在日問題には触れつつ、皆それぞれ関心のある問題へと議論を広げようとする意志を示したのである。私たちにとっては、イベントを始める前には考えられなかった観客反応が見えてき、そこからワークショップの手法を用いる意味を再確認することができた。これからは、マイノリティーの問題を観客と共にパフォーマティヴ(遂行的)に考えるために、どのような対話形式を導入するか、どのように運営していくかといった具体的な実施方法を工夫して行かねばならないだろう。

「国のない人」の行方

 

 イベントの約3週間後、李と鄭による二人展「35th parallel north」(2019年2月9日〜23日、小金井アートスポットシャトー2F)を見に行った。

 この展覧会に李は、ワークショップの会場に設置されたインスタレーションの完成版と既存の絵画何点かを展示した。今まで主に絵画を中心に活動してきた李は「今回の作業で初めて演劇性の強いステージを制作したのは、自分の中では重要な経験となった」「自分が今まで扱っていた舞台や背景を現実に提示し、実際に観客と関わることができた意味では今後展開できる部分がある」と言った。

鄭は、韓国に行った時に撮影した写真と映像を既存に持っていた写真と組み合わせて展示した。今回「コリアン・ディアスポラ」展のために初めて韓国に行った鄭は、親戚の方々と会った経験を映像作品に作った。鄭は自らの作業の一部として考えていたワークショップ会場の撮影に関して「韓国に行った時の経験と似て、自分が撮影する前に考えていた展開とは全く違う状況が開かれた」と言った。

 二人が「国のない人」で試みた「虚構的風景」とは、国家や民族、過去や現在の、風景の様々な要素を横断する概念であると同時に、表現の形式においては、演劇的かつ遂行的な実験を含むものである。今回私は一人のキュレーターとして、個人及びコミュニティーのアイデンティティーや歴史の問題を、観客との関わりの中でいかに表現し、共有することができるかを考えた。今後もポストコロニアルおよびマイノリティ問題を観客と共に演劇的・遂行的に実践することができる「知識生産の場」を持続させていきたい。

 

 

参考文献

「コリアン・ディアスポラ」、京畿道美術館、2019

「武蔵美x朝鮮大 突然目の前が開けて」、「武蔵美x朝鮮大 突然目の前が開けて」制作委員会、2015

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